週刊弐式(ry

今年はみんなに明るいことがあればいいな

logs

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一次・二次史料で見かけた不気味な話

一次・二次史料で見かけた不気味な話

1 :世界@名無史さん:2010/09/10(金) 15:24:41 0
世界史関係の本を読んでて、幽霊とか怪生物の目撃情報とか猟奇事件について
記述があったら書き込むスレです。

------------------------------------------------------------

2 :世界@名無史さん:2010/09/10(金) 15:28:39 0
例えばこんなのとか

アテナイに幽霊の出る家があった。哲学者のアテノドルスが借りて住んでいた。
足に鎖、手に枷をはめられた幽霊が出て、ついてこいという身振りをした。
ついて行くと中庭まで来て、消え失せた。家主の許しを得て中庭を掘ったところ、
出て来たのは鎖に縛られた骸骨であった。葬儀をした後、幽霊に悩まされる
ことはなくなった。
(小プリニウス『書簡集』)

------------------------------------------------------------

4 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/10(金) 19:34:52 0
ある放埓な男が、妻の不貞を暴くべく梁の上にいたところ、転落して死んだ。
キリスト教徒として正しく葬られたのだが、生前の行動により益無かったものか、
悪魔の力により、夜毎に墓から出てさまよい歩く様になった。

かくして街中では犬の吼ゆる声が止まることなく、家々も閂を鎖して外には出ぬ
様にしていたが、それも効果は無かった。
それというのも、この男が歩いた後には、疫病が流行したからである。

その後、疫病で親族を失った兄弟が墓を暴いたところ、ほんのわずかな土の下か
ら男の死体が現れた。
体はふくれ、頬は赤く染まり、まるで生前の如し。
何人の血を吸いしやと、はっしと鋤で以って首を落とすや、鮮血が飛び散った。
かくして、さしもの疫病も止むに至ったという。
(『イングランド事件史』1196年)

12世紀頃のイングランドの記録には、東欧の「吸血鬼」伝承と共通した記事が
多く、近世以降の記録ではもっぱら東欧に限られた伝承が、この地域にも分布
していた時代があった様です。


7 :世界@名無史さん:2010/09/10(金) 20:58:10 0
>>4
平賀英一郎の「吸血鬼伝承」でも採り上げてたね。
スラヴ人の特殊文化というより、もともと汎ヨーロッパ的にあった「不浄の死者」が
カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ
生き残ってたのではないかと・・・

カトリックの古い「贖罪規定書」にはこんなのもあったらしい。

第一八〇章 お前は、ある女たちがするように悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。
洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、どこか秘密の場所に置き、子どもの体を
杭で刺して、もしこうしなければこの子は生き返り、多くの者に害をなすという。お前がそのようなことをし、
あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない。
 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』p202

↑この辺はロシアのメルトヴャーキ、不浄の死者に関する信仰に似てるね。

------------------------------------------------------------

8 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/10(金) 21:08:42 0
吸血鬼ついでにお話しておくと、死体を猫がまたぐと起き上がるという伝承がありますね。
東欧では、死体を猫がまたぐと吸血鬼になるそうです。

南方熊楠は、戦国期に宣教師が伝えたのだろうと推測していましたが、彼らの主な出身地
であったイベリア半島やイタリア半島に、当時伝承されていたものかどうか。
クロアチアあたりなら、吸血鬼伝承も盛んなのですが。

死体の頭に網をかぶせる(欧州)のに対し、頭に鉢をかぶせる伝承もあります。
前者は吸血鬼になるのを防ぎ、後者は閻魔に頭を打たれるのを防ぐとか。

>カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ
>生き残ってたのではないかと・・・
煉獄自体、後から死者を救済する概念が必要になって出来た様ですね。
教義と信仰のせめぎあいというのは、日本にもありました。
盆というのは元来「地獄にいる」死者を救済するための行事。
死者が帰還するという説と六道に輪廻するという仏典の説は矛盾するため、餓鬼道から帰還
するなどの理由で、平安後期に折り合いをつけています。

どうも、人間は教義がどうあれ、死者と出会う機会を設けたいものらしい。

------------------------------------------------------------

9 :世界@名無史さん:2010/09/10(金) 22:02:32 0
プロコピウス『戦史』にある話

ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで
押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。

そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに
陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。

しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。

なんですかそのホラー風の〆方は・・・


10 :世界@名無史さん:2010/09/10(金) 23:00:22 0
>>9
普通に鯨だったんじゃないの?
船を見るとじゃれついてきたりするらしい


11 :世界@名無史さん:2010/09/11(土) 00:33:34 0
>>9
>「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」

「あれが最後のポルフィリオスだとは思えない。やがて第二第三のポルフィリオスが…」
だと古式ゆかしい怪獣映画のエンディング。やーすーらーぎーよー、ひーかーりーよー。


12 :世界@名無史さん:2010/09/11(土) 01:13:28 0
ククク、ポルフィリオスは我ら鯨の中でも一番の小物・・・

------------------------------------------------------------

13 :世界@名無史さん:2010/09/11(土) 14:50:13 0
ケルン司教区のシュタムハイムという村で起こったことである。
騎士が二人住んでいて、一人はグンター、今一人はフーゴーと言った。
グンターが十字軍に出かけていた時のある夜、就寝前の用を足させるため
召使が子供たちを中庭に連れ出した。すると、囲いの外から白衣を着て
顔色も青ざめた女の形をしたものがじっと彼らを見つめていた。
何も言わなかったが、姿を見ただけでぞっとした。そのものは垣根を越えて
隣のフーゴーの地所へ行った。
数日後グンターの長男が病気になって、こう言った。
七日目に僕は死ぬ。その次の七日目に妹のディナリが死ぬ。もう七日すると
下の妹が死ぬ。全部その通りになった。そればかりか、子供たちの後を追って
母親も、上述の召使も死んだのである。同じ頃、隣の騎士フーゴーとその
息子も死んだ。これはわが副院長ゲルラック師から聞いた話である。
(ハイステルバッハのカエサリウス『対話』)

------------------------------------------------------------

19 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/11(土) 22:41:21 0
天福2年(1234)のことである。
時の帝である後堀河院は、先ごろお産が元で中宮と御子を失われ、意気消沈
しておられたが、その日は法勝寺の法華講に出席されていた。

法勝寺といえば、九重大塔で有名な寺である。
寺へ到着された後堀河院は、唐様の見事な塔を見上げられた。
すると、ありうべからざるものが見えた。
普段は人の立ち入らぬ筈の塔の下から三層目に、人の姿が見えたのである。
しかも、この日は行幸があり、見下ろす者のあろう筈もない。

更に付け加えると、その人とは、崩ぜられた中宮であった。

後堀河院は、傍に控えていた摂政に、「あれが見えるか」とお訊ねになった。
すると、摂政の目にも見えるということ。
しかし、他の人間には、誰に訊いても見えはしなかった。

この後しばらくして、後堀河院は崩御された。
(『五代帝王物語』より)

------------------------------------------------------------

26 :世界@名無史さん:2010/09/12(日) 17:39:18 0
イブン・ハルドゥーン「歴史序説」より

われわれはまた、魔術師が着物や皮を指さし、口のなかでぶつぶついうと、
それらがばらばらになるのを見たことがある。同じように他の魔術師が
牧場の羊や山羊の腹を指さし、引き裂く素振りをすると、不思議にも
その動物の内臓が腹から地面に飛び出した。

------------------------------------------------------------

28 :世界@名無史さん:2010/09/12(日) 23:46:30 0
「だが、それよりもひどいものがありますよ。マリア・アラコックの生涯をお読みになってごらんなさい。
あれは苦行のために病人の糞便を舌で寄せあつめたり、指先の腫れ物の膿を口ですすったりしましたよ。」

『彼方』 ユイスマンス

ジル・ド・レーだけじゃなくて、いろんな妙な歴史的エピソードがちりばめられてるから面白いね。

------------------------------------------------------------

31 :世界@名無史さん:2010/09/13(月) 21:41:54 0
『ヨーハン・ディーツ親方自伝』より

これはある軍医に教えてもらったことだが──この人物はオランダ大使の
もとで働いていたとき、瀕死の重傷を負ったあるトルコ人の治療に当り、
そのトルコ人からひじょうに気に入られたのでたびたびその家に招かれた
のだが、女の姿をついぞ見たことがなかったという──軍医はそのトルコ人に
ぜひともご令室にお目にかかりたいと頼んだ。トルコ人はいいともと請け合い、
一緒に階上の妻屋つまり小部屋まで連れていってくれた。見ると、部屋の
中ほどにみめ麗しきご婦人が六人もいて、絨毯の上にじかに足を組んですわり、
刺繍や縫い物をしていた。みな驚いてはにかむような表情をみせた。

するとトルコ人は、「わしについて来なさい。ほかの女も見せてしんぜよう」と言った。
トルコ人は軍医の手をとり、階段を下りていった。よろい戸のかんぬきを外して開け、
中をのぞいてみなさいと言う。中は真っ暗で何も見えなかったが、藁の中で何か
金属のような音がたしかに聞こえた。それからトルコ人がもう一つのよろい戸を開けると、
すっかり明るくなった。軍医が見たのは残酷な見世物だった。全裸の女が一人、乱れ髪を
顔のまわりに垂らしたすがたで、鎖につながれて横たわり、そのそばに、なかば
喰いちぎられた人間の死体がぶら下がっていたからである。軍医はぎょっとして
飛びのき、これは何かと訊ねた。
これも妻の一人ですが、背教者(つまり、かつてキリスト教徒であったが、イスラム教に
改宗してトルコ人となった者)、ほら、そこにぶら下がっている男と情を通じたのですよ、
とトルコ人は軍医に説明した。男を現場で捕らえて刺し殺し、ここにぶら下げたのだ。
しかし女はこれを食らうほかない、いずれ飢え死にするであろうが、と。

------------------------------------------------------------

38 :世界@名無史さん:2010/09/16(木) 21:50:20 O
晋書より
厚遇していた前秦の苻堅を裏切って死に至らしめた後秦の姚萇が病床で見た夢の話
苻堅が鬼兵を率いて営中に入り込み、萇は恐れて宮殿へ逃げ込んだ。
宮人が鬼を刺そうとして誤って萇の股間を刺した。
鬼が互いに言った「死所にあたった」
刺さっていた矛を抜くと血が大量に吹き出した。
夢から醒めると激しい動悸がしており、ついに陰部の腫瘍を患った。
医者がこれを治療の為刺すと夢のように血が吹き出した。
萇はとうとう譫言を言うようになった「陛下を殺した者は私の兄であって臣の罪ではありません。どうか臣をお許し下さい」


39 :世界@名無史さん:2010/09/16(木) 22:04:15 0
>>38

睾丸の癌かね。晋書は「小説」を多く採っているらしい。

------------------------------------------------------------

43 :世界@名無史さん:2010/09/16(木) 22:52:53 0
『大鏡』で一條天皇即位の大礼の直前に
高御座で血糊のべったりついた生首が発見されて
藤原兼家が揉みつぶした話。

初めて知った時、殺人、穢れを忌むはずの王朝貴族でも
意趣晴らしにそんなことするんだなと思った。
犯人は花山天皇の関係者か。
被害者は多分全く無関係の名もなき庶民だろうけど可哀想。


44 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/16(木) 23:22:37 0
遺棄葬が主流だった時代ですからね(京では室町にほぼ止むが、地方では明治まで続く)。
その辺の死体だったのかもしれません。
犬が頭をくわえて来た、鳶や烏が手足を……という話も、よく聞かれました。

穢れというのは、その場で着席して伝染するものとされていました。
産穢なら七日、死穢なら三十日、間接的なものなら……と細々とした規定あり。
手に提げて運ぶだけなら、穢れは移りません。

人の手による嫌がらせなら、その場にいなかった人物が怪しいですね。
穢れというのは、極論すれば神に参れなくなる状態のことですが、平安後期の公家の日記
に、知らなければよかったという一節があり、知らない場合は免除されたのではないかと
いう気が致します。
この場合の兼家も、わざと聞かなかったふりをしたそうですから。

------------------------------------------------------------

45 :世界@名無史さん:2010/09/16(木) 23:51:04 O
晋書劉聡載記に気味悪い話が…

巨大な肉の塊が落下し、その周辺に泣き声がしていて昼夜やまなかった
皇后劉氏が蛇と猛獣を産み、これらは人を害しながら逃亡して行方不明となり、その後肉塊の傍らで見つかった
突然劉氏が死亡し、肉塊は消え失せて泣き声も止んだ


46 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 06:46:46 0
>>45
中国の怪異譚は因果関係がよく分からなくて怖いのが多いね
当時の人間には解読?できたのかもしれないけど

------------------------------------------------------------

48 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 10:04:35 0
ルーズベルトが呪い殺されたのは有名だな。 あと満州国関連なら腐るほどありそう

------------------------------------------------------------

56 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 12:08:32 0
小松和彦先生の思い出話
その1
大学院生の頃、四国の山奥に調査に出かけた
駅前でパンと牛乳を買い、神社の境内でそれを食べて昼食にした
その後、祈祷師さんのところに話を聞きに行ったら、祈祷師さんは、話をしながら、時々変な顔をする
そして、思い切ったような表情で、「にいさん、今日、神さんを怒らすようなことをしなかったか?」
「いいえ」「そんなことはない。今日、やったことを思い出してみろ」「神社でパンを食べました」
「あの神社は、今、入ったらいけない時期なんだ。そこに入ったのか」
そして、お払いをしてくれて、「なにもなければいいが」

東京に帰って、まず、当時婚約中の人に電話をかけたら、彼女がいない
突然、アパートを引き払っていた。そして、何も言わずに婚約を解消してくれ、という連絡が来た

祟りだ・・・と小松青年は思ったそうです

その2
研究者となって、四国で死んだ人を守護神(だったかな?)にする儀式を調査することになった
一緒に地元の教育委員会の人一緒にビデオを回したら、なぜか、霊のご機嫌が悪く、なかなか神になってくれない
そこで、ビデオを止めたら、なんとかなってくれた

それから、二年ほどして、そこを尋ねたら、現地の人たちが「先生、なんともありませんでしたか」
その儀式の後、関係者に「変事」がいろいろあったそうだ

------------------------------------------------------------

60 :世界@名無史さん:2010/09/19(日) 09:11:27 O
また晋書のはなしだが…

後趙の石虎が太武殿を完成させた際に昔の聖賢・忠臣・孝子・烈士・貞女の絵を描かせた
その絵が皆胡人に変じ、頭が肩の中にめり込んで冠や髪が僅かに出るだけとなった
石虎はこれを非常に不快に思って誰にも言わなかった
佛図澄は石虎に向かって涙を流し、自ら申し出て自分の墓を作った
寺に戻ると独り言を言った「三年を得られるだろうか」「得られない」「二年、一年、百日、一月を得られるだろうか」「得られない」そのまま黙り込んだ
寺で亡くなったが、のちに西からやってきた沙門が佛図澄が西の関中に現れたと告げた
石虎が佛図澄の墓を掘らせると遺骸はなく、石がひとつあるだけだった
石虎はこれを不快がって言った「石は朕である。我を葬って去ったというのは吾がまさに死ぬということだろうか」病を発して翌年亡くなり、国は大乱に陥った

------------------------------------------------------------

61 :世界@名無史さん:2010/09/19(日) 11:59:31 0
徳川光圀が、八幡の藪知らずに入って出られなくなった、
って話は出典はあるのかな?
藪知らず自体は、今でも市中に唐突にある奇妙な藪として、
立ち入り禁止のまま残ってるんだが


62 :世界@名無史さん:2010/09/19(日) 12:42:35 0
http://viswiki.com/ja/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E3%81%AE%E8%97%AA%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9A

禁足地だったのは石碑や千葉県教育委員会の調査で明らかになっているが、水戸黄門云々は後世の創作なんじゃないカナ
話に尾ひれがつくのよくあることサ

------------------------------------------------------------

72 :世界@名無史さん:2010/09/22(水) 22:01:30 O
また晋書の話だが

前秦の苻ヒが敗れた際、その司空徐義は西燕の慕容永に捕らえられた。
繋いで土に埋められ、殺されようとした所で観世音経を唱えると夜中にひとりでに土が開いて脱出することができた。
周囲には多くの兵がいたが、人が導いているかのように逃れ出た。
晋の楊セン期のもとへ奔り、洛陽令に任命された。


石虎らの仏図澄の扱いを考えると、仏教は呪術のように捉えられていたようだね

------------------------------------------------------------

79 :世界@名無史さん:2010/09/24(金) 00:01:38 O
五胡時代の話だと後趙の石虎が死んだあと、前燕の慕容シュンの夢に現れて腕に噛みついたというのもあったな

慕容シュンはこれで病気になり、石虎の墓をあばいて死骸を踏みつけてから黄河に放り込んだが流れずに柱に引っかかったままになった
後に前秦が前燕を滅ぼしてから死骸を回収して葬ったという話だった

晋には現れない妖しい話がワンサカ…


80 :世界@名無史さん:2010/09/26(日) 00:18:16 0
何で正史にそんなエログロオカルトばっかり載せているんだ。


81 :世界@名無史さん:2010/09/26(日) 05:17:07 0
刷り込むためには、興味を持って読んでもらわないといけないからじゃないかね。


82 :世界@名無史さん:2010/09/26(日) 19:03:00 0
中国流の黙示文学だったりしてな。
旧約聖書に出てくるネブカドネザルの夢みたいな。
実際の事件を怪異に置き換えて書いているとか。

------------------------------------------------------------

87 :世界@名無史さん:2010/09/28(火) 12:15:38 O
またまた晋書
諸葛長民伝より

長民が富貴となった後、ひと月のうちに十数回も眠っていたところを飛び起きて人と組み打つような動作をした。
毛脩之がかつて同宿した際にこれを目撃し、驚いて理由を問うた。
長民が答えて言った「真っ黒で毛が生えた物がいるのが見えるが、我でなくては制することができないのだ」

屋内の柱の間から蛇の頭が出てきた為に人に刀で斬りつけさせたが、蛇は刀が近づくと引っ込み、遠ざかるとまた出てきた。

衣を引っ張って話しかける声が聞こえたが、その言葉は理解できなかった。

壁から長さ七八尺の巨大な手が出現し、これを切らせると突然見えなくなった。

その後間もなく誅に伏した。

------------------------------------------------------------

91 :世界@名無史さん:2010/09/29(水) 14:19:47 0
「ヨーハン・ディーツ親方自伝」より
ゲルマン圏でよく見られたという「荒ぶる狩猟」の一種でしょうか

このあたりの山地でリューベツァールのことがさかんに話されているのを
耳にした。そして一夜をその山麓で過ごしたのである。火のないところに
煙は立たぬ、流刑の森の精か悪魔かが悪さをしないとも限らぬ。その証拠に、
夜、ある家で藁の上に横になっていると、深夜に馬と犬と狩人のものすさまじい
ざわめきと反響が、何度も家の前を通りすぎていくのを、わたしはこの耳で
聞いた。こんなことは毎晩で、めずらしくもなんともないと人々は言った。
ほかにも、リューベツァールは人々を迷わせる、そいつをからかう者の上に
雷雨を引き起こすことができるなど、リューベツァールの言い伝えには
事欠かなかった。真偽のほどについては、どちらとも答えないことにする。

------------------------------------------------------------

96 :世界@名無史さん:2010/10/02(土) 14:22:06 O
また晋書のはなし
劉聡載記より

劉聡の東宮の四門が突然理由もなく崩壊した。
のちに女人が男子に変じた。
聡の子約が死んだが、一本の指だけが暖かかったことから葬らなかった。
蘇って言うには…

不周山で劉淵に会い、従ってコンロン山に至った。
三日してまた不周に帰るとすでに死去した公卿将相が皆おり、壮麗な宮室を営んでいて蒙珠離国と号していた。
淵が約に言った
「東北には遮須夷国があるが久しく主がなく、汝の父がやって来るのを待っている。
汝の父は三年後にやって来るが、その後国内は大乱に陥って殺し合って我が家は殆ど死に尽くす。
ただ永明(劉曜)ら十数人だけが残るだけだ。
汝は一旦還っても後年また来ることになるだろう」
約は辞して帰ったが、道中で猗尼渠餘国を通過すると宮に引き入れられて皮嚢一枚を与えられ「漢皇帝に遣わす」と言われた。
帰ろうとすると「あなたは後年必ずここを通過するので、娘を妻にしよう」
約は帰ると皮嚢を机の上に置いた。

蘇って左右の者に皮嚢を取らせて開いてみると、白玉があって「猗尼渠餘国天王が遮須夷国天王に送る。後に会うことになるでしょう」と刻まれていた。
聡にこれを見せると聡が言った「このようなことならば死を懼れることはない」
聡が死ぬと、この玉を一緒に葬った。


上記の後年のこと

鬼が光極殿で哭き、また建始殿で哭いた。
平陽で十里に渡って血が降り注いだ。
聡の子約はすでに死んでいたが、その姿が見られるようになった。
聡はこれを非常に不快がって太子粲に言った
「吾が病床につくようになってから怪異が甚だしい。
かつて約は妖言をなしていたが、ここ数日姿が見えるようになったのは吾を迎えにきたのだろう」
太興元年に聡は死んだ。

------------------------------------------------------------

100 :世界@名無史さん:2010/10/04(月) 20:47:05 0
ヒンターカイフェック事件が一番気持ち悪いかなぁ。
余り話題にならないけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

------------------------------------------------------------

102 :世界@名無史さん:2010/10/05(火) 09:47:16 0
ロバート・D・カプラン『バルカンの亡霊たち』より

一九四一年一月二二日の夜、「大天使ミハイル軍団」は正教会の
賛美歌を歌い、ルーマニアの土を入れた袋を首にかけ、互いの血を飲み、
聖水を身体にかけて浄めを受けたのち、子供を含む二〇〇人の男女を
家から引きずり出した。そして、彼らをトラックに詰めこみ、ブカレスト
南部にあるドウンボビツア川近くの赤煉瓦の建物、市営の屠畜場に
運んでいったのである。犠牲者はすべてユダヤ人で、凍えるような暗闇の
なかで裸にされ、ベルトコンベアの上で四つん這いにさせられた。こうして、
恐怖の叫び声をあげながら、ユダヤ人たちは全自動化された屠殺装置の中に
送りこまれていったのである。頭と手足を切断され、血が噴き出している
胴体を軍団員はひとつずつ鉤にかけ、「食用可」というスタンプを押して
いった。逆さまに吊るされた五歳の少女の胴体は「血まみれで、仔牛肉の
ようだった」と、翌朝、現場を目撃した人は証言している。

------------------------------------------------------------

109 :世界@名無史さん:2010/10/06(水) 18:41:18 0
http://kankouha.cool.ne.jp/wu-zhiyuan/ganning/ganning-zhiyuan.htm

代に甘寧の子孫である「甘卓」という人物が登場する。
伝も立っている有力者で、それによると、甘寧には甘述という息子がおり、
その息子が甘昌、そしてその息子が甘卓であるという。
この人物は、非業の死を遂げたようで、
「死の前日、ふと井戸を見た。井戸水に映る自分の姿に、首から上がなかった。これは彼の死を暗示してたのである」
という猟奇話が残っている。

------------------------------------------------------------

112 :世界@名無史さん:2010/10/07(木) 23:52:45 O
晋書のはなし

前燕の慕容コウが狩猟をしていた際に河を渡ろうとして、朱衣・白馬の一人の父老に出会った。
その父老は手を上げてコウに言った「ここは狩猟すべきところではないので王は還られるように」
コウは従わずに河を渡ったが、連日大収穫を獲た。
白兎を見つけてこれを射ようと馬を走らせたが、馬が倒れて負傷した。
車に乗って宮殿に帰還し、(慕容)シュンを呼んで後事を託した。
在位十五年で亡くなった。

------------------------------------------------------------

136 :世界@名無史さん:2010/10/16(土) 22:28:58 O
晋書より

後趙の石虎の子である石宣が兄弟の石トウを殺そうとしていた時のこと
石トウがやってくると、佛図澄はこれを凝視した。
トウが懼れて理由を問うと答えて言った
「あなたが血の臭いがするので見ていたのです」

宣が人を遣わしてトウを寺の中で殺した。


144 :世界@名無史さん:2010/10/22(金) 07:22:09 0
>>136
「どうしてそんなことまで分るんですか?」と驚いて尋ねると、
ドン・ボスコは私の手を取って、固く握りしめながら、
私の顔をきっと見て、それから秘密を打ち明けるような態度で、

「私はあの男の心を読んだんですよ。」と云った。

「へーえ!じゃァ神父さんには、私の罪も見えますか?」
「見えますとも!少し匂いがしますよ。」と、
ドン・ボスコは笑いながら答えた。

実際、ドン・ボスコは匂を嗅ぎ分けたに違いない。
と云うのは、告解の時に、私が云い忘れたことを、
此の時ドン・ボスコは即座に私に云って聞かせた。

而も、極めて正確に云い表したのである。

私の住んでいた所は、ドン・ボスコのいる所から
少なくとも半里は離れていたのであるから、
私の心を読んで知る以外に、此の事を知る道はなかったのである。
http://hoarun.web.fc2.com/sou1.html
http://hoarun.web.fc2.com/

145 :世界@名無史さん:2010/10/22(金) 07:23:21 0
>>144
以下コピペ引用です。


シエナの聖カタリナも罪を犯した人から漂う臭いで罪人か分かったそうだね。
ある日女性が聖カタリナを訪ねて来て、話している間中、
その女性に顔を向けて話を聞く事が出来なかった。

失礼だと、他のシスターが注意すると、
真正面に座って聞いているだけでも、大変な愛徳でしたと答えられた。

なぜならその女性からは、恐ろしいほどの悪臭が漂っていたから。
他の人がその臭いを嗅げたらとてもその場に居ることすら出来なかったそうです。
その女性は、司祭と姦淫の罪を犯していた。

------------------------------------------------------------

137 :世界@名無史さん:2010/10/16(土) 22:57:59 O
また晋書のはなし

苻堅載記より
堅が在位して五年、鳳凰が集まったことからその境域内に大赦を施行し、百官の位一級を進めた。

はじめ堅が大赦を行う際に、王猛・苻融と露堂で密議した。
堅が自ら赦文を作り、猛・融が紙と墨を供した。
一匹の蒼い蠅が入り込み、大きな音を立てて筆の辺りを行き来した。
突然長安の街中に「大赦が行われるぞ」との噂が流れ、有司が報告した。
堅が驚いて融・猛に言った「禁中で誰も聞いていないのに、どうして泄れたのか?」
命を下して探させると、一人の黒衣の小人が街中で「大赦が行われるぞ」と大呼してすぐ見えなくなったとの報告があった。


138 :世界@名無史さん:2010/10/17(日) 03:47:32 0
ハリーポッターの、甲虫に変身してゴシップを集めまくるライターのネタ元みたい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
さすがにローリング氏が晋書を読んでたとは思えないが

------------------------------------------------------------

150 :世界@名無史さん:2010/10/24(日) 23:16:15 0
アーサー王がなぜかシチリア島で魔王になっている話
ハイステルバッハのカエサリウス『奇跡をめぐる対話』より

皇帝ハインリッヒがシチリアを征服した頃、パレルモの教会に首席司祭がいたが、
彼は確かドイツ人だったと思う。ある日、素晴らしい馬がいなくなってしまったので、
彼は召使にあちこち探させた。途中で出会った老人が召使に尋ねた。「どこへ
行くのかね、そして何を探しているのかね」。「主人の馬を探しているのです」。
召使が答えると。老人は「わしは馬がどこにいるか知っておるよ」という。「では、
どこにいるのですか」と尋ねると、老人は答えた。「ギベル山だよ。私の主人の
アーサー王がその馬をもっておられる」と。その山はエトナと同じく炎を吹き上げて
いた。老人はいった、「お前の主人に、一四日目にあの山の宮殿に来るように
いいなさい。もしお前が伝えないと、厳しい罰を受けるぞ」。
召使は戻って主人におののきながら、聞いたことを伝えた。首席司祭はアーサー王の
宮殿に招かれたことを聞いて笑いとばしたが、やがて病気になり、指定された日に
亡くなった。この話はボンの聖堂参事会員をしているゴットシャルクから聞いた話
だが、彼はそのときパレルモにいたという。

当時、火山は煉獄の入り口と考えられていた。


151 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 01:55:28 0
アーサー王は、妖精郷とかそういう、
いわゆる「常世」「あの世」と相性が良い伝説の人だからなぁ。
「あの世」の関係者として魔王的に伝承されてもおかしくないわな。


152 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2010/10/25(月) 10:07:28 0
>>150-151

そもそも当時アーサー王伝説ってどこからどう伝わったんだろう。
イギリスからシチリア。バイキング経由かなあ。
地元に伝わる別の伝承がアーサー王伝説に結びついたというか
アーサー王に仮託された可能性もあると思うけど。


153 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 13:40:21 0
>>150を見る限り、少なくともドイツやイタリア辺りまでは
アーサー王の名前が説明なしで分かるほど知られていたのかな

------------------------------------------------------------

154 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 20:43:07 0
【10月25日 AFP】フランス・パリ(Paris)近郊の小村ラ・ヴェリエールLa Verriereで23日、
集合住宅の4階に暮らす一家のうち11人が「悪魔から逃げようと」次々にバルコニーから
飛び降り、乳児1人が死亡、7人が重傷を負うという奇妙な事件があった。

 数人が集合住宅のバルコニーから飛び降りたとの通報を受けて駆けつけた消防が
発見したのは、腕に刺し傷を負った全裸のアフリカ系男性1人と、子ども3人、乳児1人
を含む負傷者らで、このうち乳児はパリの病院に運ばれ手当てを受けたが、死亡した。

 検察発表によると、事件が発生したのは同日早朝、この家に暮らす一家のうち13人
がテレビを見ていたとき。乳児が泣き出したのを聞いて起きた男性が、全裸のまま
ミルクを作りに行こうとしたところ、その姿を見た男性の妻が「悪魔よ、悪魔だわ!」
と叫んだ。

 これを聞いた妻の姉妹が男性の腕を刺し、玄関から男性を追い出した。男性が部屋
に戻ろうとすると室内はパニックになり、一緒に暮らしていた家族が次々に窓から飛び
降りたという。

 警察によると、2歳の子どもを連れて飛び降りたある男性は、這って2ブロック先の
茂みまで移動して身を隠したが、「自分の身を守らなければならなかった」と叫んで
いたという。

 捜査では、部屋から幻覚薬の類やオカルト儀式が行われていた形跡は見つかっ
ていない。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2769647/6368496



155 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 21:11:25 0
この事件は前夜に家族が食べた茸のなかに毒キノコが混じっていたのが原因。
むかしはよくキノコ中毒による幻覚でこういう事件があったとされている。

------------------------------------------------------------

157 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 23:26:03 0

ラザロ兆候

ラザロという男性が脳死判定された直後
身体を切り刻まれ臓器移植を開始したときの動画

脳波停止しているのだが
動画を見ると明らかに激痛を嫌がっている

医者は脊髄反射と言うが本当なのかはラザロにしかわからない

どういうわけか
この動画があちこちから削除されている


158 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 23:35:00 0
>>157
今ではそれがあるから、脳死判定後も必ず麻酔使うんだったか。


159 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 23:53:27 0
脊髄反射だろ。
脳ミソ切り取ったカエルだって、電気流せば筋肉が動くんだぜ。
脳が死んでても臓器は生きてるから、移植に使えるんじゃないか。


161 :世界@名無史さん:2010/10/26(火) 01:25:18 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD
ラザロ

『ヨハネによる福音書』11章によれば、イエスによっていったん死より甦らされた。ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、
ラザロが葬られてすでに4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」と
いうと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエス
を殺すか計画しはじめた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。(ヨハネ12:10)

名は体を表すというが、>>157の話にハマりすぎ。西洋の都市伝説の一種じゃね。


162 :世界@名無史さん:2010/10/27(水) 02:47:42 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD%E5%BE%B4%E5%80%99

医学や生理学?なんて門外漢で詳しいことは分かんないし、wikipediaから引用して悪いけど
そもそも新約聖書のラザロから名付けられた徴候なわけで
ラザロという脳死患者から名付けられたわけではないようだが?

そもそもネタはちゃんと史料から持ってこようぜ

------------------------------------------------------------

167 :世界@名無史さん:2010/10/31(日) 09:13:55 O
晋書曇霍伝より

ある人が衣服を贈ると、受け取ってから河に投げ込んだ。
後日贈り主のもとへ戻ったが、衣服は濡れていなかった。
ある人がその錫杖を隠すと曇霍は大声で泣いたが、しばらく目を閉じてからこれを取って起ち、人々はこれを奇とした。

禿髪ジョクダンの娘が重病となり、これを治療するよう請うた。
曇霍が言った「人の生死は定めがあって聖人といえども禍を転じて福とすることは出来ず、曇霍がどうして延命できるでしょうか。」
ジョクダンが固く請うた。
この時後宮の門が閉じていたが、曇霍が言った「急いで後門を開けてみなさい。門が開けば生き、開かなければ死ぬでしょう」
ジョクダンは命じてこれを開かせたが、開かずに娘は死んだ。

------------------------------------------------------------

186 :世界@名無史さん:2010/11/26(金) 20:58:03 0
ロシアのピョートル大帝は奇形児の遺体や
奇形動物の剥製、ホルマリン漬けを大量に集めていて
今でも残っているんだが
これは単なる病的好奇心によるものだろうか。

------------------------------------------------------------

187 :世界@名無史さん:2010/11/26(金) 23:20:39 0
『三国志』魏志・公孫淵伝より

公孫淵が魏に征伐される以前、彼の家ではたびたび奇怪なことが起こった。
たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて屋根に上がっていたり、
飯を炊くと、蒸し器の中で赤子が蒸されて死んでいたりした。
また襄平の北では生肉を売っていたが、それは長さも太さも数尺あり、
頭と目と口があって、手足がないのにゆらゆら揺れ動いていた。
ある占い師は「形態があるのに完全でなく、肉体はあるのに声がない。
このような怪物の現われた国は滅亡するであろう」といった。

------------------------------------------------------------

213 :世界@名無史さん:2010/11/29(月) 22:49:26 O
晋書のはなし

馮バツ載記より
井戸が渇して三日後にもとに戻った。
尚書令孫護の里において犬と豕が交わるということがあり、護はこれを不快に思って太史令ビン尚を召し寄せて占わせた。
尚が言った「犬と豕が異類どうしで交わったのは性に違いその根本を失ったのであり、乱によって衆を失って敗亡するというものを示します。
あなたは位を極め、諸弟は皆列侯となって王室を傾ける程になっています。
妖異が里に出現したのは他家を示していないことであり、あなたは過ちのないよう慎まれますように」
護は黙然として喜ばなかった。
護の弟伯仁・叱支・乙抜らは才力があり勇をもって知られていたが、待遇の不満を現したために誅殺された。
馮バツは護を左光禄大夫・開府儀同三司・録尚書事として慰めたが、護が不満を表情に現したために酖殺された。

------------------------------------------------------------

216 :世界@名無史さん:2010/12/03(金) 22:02:59 O
晋書のはなし

南燕の慕容徳は桓玄の敗北を知ると、慕容鎮を前鋒とし慕容【金重】を大都督として歩騎二万五千を授けて出発させようとしたが病気を発した為に取り止めた。
徳はその兄の子超を長安から迎えていたが到着した。
徳の夢にその父が現れて言った
「汝は子がないのに何故超を立てて太子にしないのか。そうしなければ悪人が異心を抱くだろう」
徳は目覚めると妻に言った
「先帝が夢においてこのように告げられたからには、吾は死ぬこととなるだろう」
書を下して超を皇太子として境内に大赦を施行し、父の後を嗣いだ者の爵を二級進めた。
その月のうちに死去した。

------------------------------------------------------------

217 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 01:33:36 0
↓易経を学ぶ人には有名な話。

元治元年のこと、佐久間象山は公武合体論と開国論を説くため、
一橋慶喜に招かれて上京することとなった。
象山は日頃、易占を行って行動を決していたが、今回は筮を立てようとしない。
不思議に思った弟子が尋ねても、象山はもっぱら
「易は心に惑う時にするものだ。今度のことは吉凶問うところでない」
と言うのみであったが、ついに弟子のたっての望みで占ってみた。

得た卦は、沢天夬の上爻変。易経には「无號、終有凶」とあり、
小人が泣き叫んでも遂には殺される、という明らかに最凶の卦。
しかし象山は動ぜず、駿馬を求めて京へと出立した。

途中、美濃国大垣にて知人、小原仁兵衛の邸に寄り、大いに歓談した。
その内、小原氏が象山にふと「今回は易占は立てましたか?」と問い、
象山が沢天夬の上爻変を得たことを告げると、その場で小原氏は黙してしまった。

小原邸を発して京都に上り、諸法を遊説して帰国しようとした矢先、
三条木屋町で、河上彦斎等の手にかかり暗殺された。


出典は象山の門弟で後の外務書記官、北澤正誠の談話を
高島嘉右衛門が聞きとったものらしい。

------------------------------------------------------------
スポンサーサイト

この記事へのコメント

No title 

187
「犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて屋根に上がっていたり」

ちょっと かわいい と思ってしまいました。

  • 2010年12月13日 22:08
  • #-
  • URL
  • [ 編集 ]
 

中国には怖い話がないようなイメージだった。歴史にも特に興味が無かったから新鮮だ。

  • 2010年12月14日 00:24
  • ´・ω・` #-
  • URL
  • [ 編集 ]
 

面白かった。中国の歴史のオカルト話いいね

  • 2010年12月14日 15:29
  • #-
  • URL
  • [ 編集 ]
★相互リンクの依頼です。 

初めまして。MICROMAN-アダルトビデオ-のマリと申します。

この度は貴サイトとの相互リンク及び相互RSSをお願いしたく
ご連絡させていただきました。

誠に勝手ながら当サイトではすでに、貴サイトをリンクRSS共にご紹介させていただいています。
もし宜しければ、是非相互リンクと相互RSSの設置をお願いしたいと思っております。
できる限り良質なアクセスをお送りできますよう改良工夫をしてまいりますので、
勝手なお願いではありますが、何とぞ宜しくお願いできますでしょうか?

-------------------------------------------
MICROMAN-アダルトビデオ- 管理人 マリ
http://adult-m.sny7.net/

MICROMAN-アダルトビデオ- RSS
http://adult-m.sny7.net/?xml
-------------------------------------------

No title 

138
たしか虫になれる人と同じあたりで中国人のヒロインが登場したんじゃなかったっけ?

  • 2011年01月04日 23:57
  • #-
  • URL
  • [ 編集 ]
コメント投稿フォーム

Paging Navigation

Navigations, etc.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。