週刊弐式(ry

今年はみんなに明るいことがあればいいな

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【左】続・伝説または逸話【右】

【左】続・伝説または逸話【右】

1 :好爺:03/03/09(日) 10:53
前スレ後半は、私の所為で、和物中心となりましたが、
東洋・西洋・古今東西・森羅万象問わず伝説・逸話を
語り合いましょう。

全スレ:http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1032338511/l50

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15 :Zanoni:03/03/11(火) 21:57
東方朔

漢の武帝が東方に旅行したとき、函谷関の手前で、何かある物が行く手を遮っていた。
その怪物は身の丈が数丈もあって、その形は牛に似ており青い目をして瞳を輝かし、
四本の足は地中に入って動かそうにも動くものではなかった。

大勢の役人たちはただ驚くばかりであった。

すると東方朔が武帝に、この怪物に酒を注がせていただきたいと願い出た。
そこで怪物に数十石の酒を注ぎかけると、その怪物は姿を消してしまったのである。

武帝がそのわけを尋ねると、東方朔が答えた。
「あの怪物の名は『患』と申します。人々のやり場のない鬱屈した気持ちが凝り固まって
作り出したものです。ここはきっと秦の国の牢獄の跡か、さもなければ罪人や懲役囚の
集まっていたところでしょう。そもそも酒というものは人に憂いを忘れさせるものです。
そのお陰でこの怪物を消すことができました。」

これを聞いて武帝は言った。
「なんと物知りというものは、こんな事まで分かるものなのか!」

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20 :好爺:03/03/14(金) 01:07
『和州に於いて奇代変化の事』―義残後覚より―

和州上総郡に伊勢福どのと、世を挙げて詣でる事があった。この由来を尋ねると、上総郡に
太郎左衛門と言う百姓がいた。一人の娘が居て、十七歳の時、近所の林に出て、洗濯をしていたが
俄かに家に帰ってきて言うには
「我は神明なり。早く家の中を清め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず
三界一覧にするなり。何でも尋ねたい事があれば聞いてみなさい。特に病に冒されて、なやんで
いる者がいれば、たちまちに治して上げよう」と口走って、人々は大いに驚き、親達をはじめとして
「これはひとえに神明が乗り移られたに違いない」と思い、自分の家のほとりに舎を造った。
この事が世に知れ渡ると、諸国の大名小名、京、大阪、堺といわず貴賎をとわずに評判になった。
まず、最初に座頭が十人も二十人もかしこまって
「私は某の国からはるばると参りました。願わくはこの両眼を見えるようにして下さい」と言えば
伊勢福どのは、聞き届け「これへ近く寄れ」と呼び寄せ、目の内を見届けて
「簡単な事です。癒してあげましょう」といって、小刀を使って、目の内をさんざんに切って、
血や肉を出して、それから御符を揉んで押し込んだ。その後、扇を広げて
「これは何ですか」と聞いた。座頭は「扇でございます」と答えた。

「絵はなんですか」と問えば「あるいは人物、あるいは花鳥、山林」などと答えた。
「一段と良い。早く帰りなさい」と言うと「ありがとうございました」といって突いてきた杖を
前に捨てて帰った。その杖は山のように積み上がったという。その他、腰抜け、耳つぶれ、せむし
疝気、中風など、嘆き悲しんでいる者達を皆患部を切開して御符を押し込んでやると、立ち所に
治って帰っていった。世の中の人はそれを聞き伝えて、神変奇妙とて有りがたがった。
備前中納言どのの奥方が、例にもれずに悩んでいる所にその御局が聞きおよび、騎馬、乗り物にて
お参りに来た。御局が御前に向かい合わせて
「ちと申し上げたい事がありまして参りました」と言えば、伊勢福どのはそれだけ聞いて
「仰せまでもありません。御心の内解っております。貴方のご主人は大名でございましょう。
備前中納言殿でございますね。御用の件は奥方のお悩みを尋ねにこられたのでしょう。それはお産です。
しかもこの十一月には若君をお産みになられます。何事も無くめでたし。違いありません」
と言ったので、御局も家来の侍達も舌を巻き、何も言うことが出来ずに身の毛もよだった。
その後、お産が無事に済んだので「まことにありがとうございます」とお礼にと、金幣を一対、
すずしに縫箔の小袖一かさねが送られた。

また、赤井善之丞という侍が参って言った事は
「お噂を聞き及んで此処まで参りました。武運長久にして奉公無事につとめとめられるように御符を
頂きたく思います」と言えば、伊勢福はそれを聞いて
「それは簡単な事ですが、貴方は鹿が近い人であるので、来年に来て下さい。今年は叶いません」
と言うと「はっ」と思って身の毛がよだった。去年の冬に鹿肉を食べた事を思い出したからである。
かくして日々に繁盛していたため、宮居を威容をりっぱに造宮して、傍らに病人達の篭り所をこしらえた。
諸方より縫箔の衣類をお布施にもらえば、そのまま小刀にて断ちくだき
「お守りにして子供に掛けさせよ。痘瘡を避けることができるでしょう」と言って、諸人にこれを
施した。あるときなど参宮に人があまりにおびただしく、街道に市が出たほどだった。
かくして月日がたち既に三年も経った頃に、この太郎左衛門が思うには
「不思議な事に、この伊勢福は毎夜、暁頃に森に出て水垢離をするが,後をつけて
見る事を禁じていて、今まで誰も見たものはいない。なにやら怪しいと付けてみて
今夜こそ見てみよう」と思って、待ち続けていたところに、いつものように暁に出て行けば
太郎左衛門はあとから隠れながら付けて行くと、森の中に入っていった。

忍び寄って詳しく見ると、狐たちが一、二百匹ばかりも集まってうなづきあっていた。
太郎左衛門はこれを見て、驚き、急いで帰って
「さて、この者は狐が憑いていてこのような術を使っていたのか。今まで気づかなかった」
と思って、帰ってくるところを討って捨てようして、長刀をかまえて、いつも行く
道で待っていたが、森より家に帰ろうとする頭の禿げた古狐を長刀でただ一太刀で
殺した。さて、狐を仕留めたと立ち寄ってみると娘の伊勢福どのを殺していた。
「これはいかなる事だ」と後悔してしまった。
かくして、それより三年過ぎれば、跡形もなく、雪の消えたように失せてしまった。
ことごとく、かたわ者、病人として来た者はみな狐であった。又、まことの病人が
来た時は、病状が悪化したり、彼女の手にあまれば言い訳を言って戻していた。
しかしながら、彼女が与えたお守りを掛けた子供は疱瘡にはかからなかった。
それを聞いて持ってなかった者はいろいろと手を尽くして探し回って、お守りを身体に
拭いて回ると、たとえ疱瘡にかかっていても、病状は軽くなって死んだ者は一人もいなかった。
世の末といえども、これこそが奇代などとだと噂が流れた。

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25 :好爺:03/03/16(日) 17:15
『播磨国、池田三左衛門殿わづらひの事』―諸国百物語より―

播磨一国の領主であった池田三左衛門殿が患い、既に危篤の状態になった時に、叡山より阿舎利を
呼んだ。そして、天守閣にて、いろいろの祈祷、七日七夜目になった時、七日目の夜半のころ
年三十歳ばかりの女性が、薄化粧をして、練絹の衣をかつぎ、阿舎利にむかって
「何としてさように加持祈祷を行なうのですか。とてもかなわぬ事ですので、早くやめなさい」
と言って、護摩の壇へ上った。
阿舎利を睨んで立ちかまえると、阿舎利ももとより尊き僧であるので
「何者なれば、女人のかたちとなりて、私に言葉を交わすのだ」といろいろ問答すると
その時、かの女、俄かに丈二丈ばかりの鬼神となってみせと、阿舎利は、そばにあった
剣を抜き取って、すでに突こうと構えると、かの鬼神は
「我は、この国に隠れなき権現なり」と言って、阿舎利を蹴り殺して、かき消すように
消え失せたと言う。池田家の侍衆が語った話である。

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26 :好爺:03/03/19(水) 03:56
『鬼谷に落ちて鬼となる』―伽裨子より―

若州遠敷郡熊川(福井県遠敷郡上中町熊川)という所に、蜂屋孫太郎と言う者がいた。
家が裕福であった為、耕作や商売の事は心にも掛けずにただ、儒学を好んで、僅かに
その片端を読み、これに過ぎたる事はないであろうと、無学文盲のものを見ては者の
数にも入れず、学問のある者を見ても俺にはかなうまいとおごりたかぶって、あまつさえ
仏法をそしり、善悪因果の理、三世流転の教えを破って、地獄、天堂、娑婆、浄土の
説を笑い、鬼神、幽霊の事を聞いては、更に信じなかった。
「人は死ねば魂は陽に帰り、魄は陰に帰る。形は土と成り、何も残る者はない。
美食に飽きて、小袖を着て、妻子を豊かにきわめる者は仏よ。粗食を食べても飽きずに、
麻衣一重でなりふりかまわずに、妻子を売り飛ばして、辛苦するのは餓鬼道よ。
人の門に立ち、声をはりあげて物を乞うて、食べ残しを分けてもらって喰らっていても
汚いとも思わず、石を枕にし草の上で寝て、雪が降っても赤裸でいる者は畜生よ。
罪を犯して牢獄に入れられ、縄を掛けられ首を刎ねられ、拷問にあうのが地獄よ。

それを行なうのが獄卒よ。これ以外にはすべて何もない。目に見えぬ来世の事
誠にもあらぬ幽霊の事、僧法師、巫神子の言うことを信じる事こそ愚かな事だ」と言い罵り
たまたま諌める人がいても、四書六経の文を引き出し、邪に義理をつけて、弁舌に
任せて言含めて、放免無惨な事ばかり言っていた。村の人は鬼孫太郎と名づけて
変わり者として仲間はずれにしていた。
あるとき、所用があって敦賀に行く事があって一人で行ったが、日が昇ってから家を出たので
今津川原あたりで日が暮れた。織田信長と浅井長政との戦の後だったので、人の行き来も
あまりなかった。簡単に宿を貸す家もなく、河原面をに出て見渡せば、人の白骨がここかしこに
乱れ、水の流れも淋しく、日は暮れ果てて四方の山々雲が立ち込めて、立ち寄る宿など無かった。
どうしようかと思いつつ、北の山際に少し生い茂った松の林があった。ここに分け入って、
木の根を便りとして、少し休んでいると、フクロウの声が凄まじく、狐火の光りが物凄く、
梢に渡る夜風が身にしみて、何となく心細く思っている所に、左右を見れば人の死骸が七つ、八つ
西枕南頭に倒れていた。しょうしょうと吹く風にまぎれて、小雨が通り、雷閃き、雷がなりだした。
その場所に倒れていた屍が一同にむくと起き上がり、孫太郎目がけてよろめきながら集まってきた。

恐ろしさ限りなく、松の木に登っていると、屍たちは木の下に集まり、
「今宵のうちにこの者を取ってやろう」と罵っている間に、雨が止んで、空が晴れて、
秋の月がさやかに輝き出た。忽ちにひとつの夜叉が走って来た。体の色は青く、角が生えて
口は広く、髪は乱れて、両の手に屍をつかみ、首を引き抜き手足をもぎ、これを喰らう事
瓜を噛む様であった。飽きるほど喰らった後、私が登り隠れている松の根を枕として眠ると
いびきの音が地面に響いた。
孫太郎は、この夜叉が目覚めたなら、きっと私を引き下ろして殺して食べるであろうと思った。
良く寝ている間に逃げてしまおうと思って、静かに木を下りて、一目散に走り出して逃げると
夜叉は目を覚まして、追いかけてきた。山の麓に古寺があって、軒は破れ、壇は崩れて住んでいる
僧もいなかった。中に大きな古い仏があった。ここに走り込んで「助けたまえ」と仏に祈り
後ろに回ると仏像の背中に穴があった。孫太郎はこの穴の中にはいって腹の中に隠れた。
夜叉は後から駆け寄って堂の中を捜したが、仏像の腹までとは思わずに出ていった。

これで一安心と思ったところに、この仏像足拍子を踏み腹を叩いて
「夜叉は、これを求めて取り逃がし、我は求めずして夜食を儲けたわ」と唄いながら、からからと
笑いながら堂を出て歩んでいった。どこかの石につまづくとばたりと倒れて、手も足も打ち砕けた。
孫太郎は穴から出て仏像に向って
「私を食べようとして、禍に出会ってしまった。人を助ける仏の本望であろう」と罵りながら
堂より東に行くと野中にともし火が輝いて、人が多く見えた。
これに力を得て走ってたどり着くと、首の無い者、手の無い者、足の無い者皆赤裸で並んで
座っていた。孫太郎は肝を冷やして、走りぬけようとした。化け物はたいそう怒って
「我々が酒宴をする途中で座をしらけさすとは何事だ。捉えて肴にしよう」と言って、一同立って
追いかけてくる。孫太郎は山際に沿って走っると川があった。流れるとも無く、渡るとも無く
向こう岸に駆け上がると、化け物たちは立ち戻った。
孫太郎は足に任せて歩いていくと耳元に大声で騒ぐ声が聞こえて、身の毛がよだち、人心地もなく
半里ばかり行くと月は更に西に傾いて、雲は暗く、草茂る山間に行き着き、石に躓いて、
一つの穴に落ちた。その深いこと百丈ばかりで、ようよう落ち着けば、生臭い風が吹き
凄まじい事に骨に通るようであった。

光が明らかになって見回せば、鬼の住んでいる所だった。ある者は髪が赤く両の角は火のようで、
ある者は青い毛が生えて翼がある者、または鳥の嘴があって、牙が生えていた。
または牛の頭、獣の面にして身の色の赤い部分は紅のようで、青い部分は藍のようであった。
目の光は稲光のようで、口から火焔を吐く。孫太郎が来るとお互いに曰く
「これはこの国の障りとなる者ぞ。取り逃がすな」と鉄の首かせをいれて、銅の手かせをして
鬼の大王の庭の前に引き出された。
鬼の王大いに怒りて曰く
「お前は人間のみでありながら、みだりに舌先三寸を使い、鬼、神、幽霊なしと言っては我々を
ないがしろにして恥をかかせる不届き者である。お前は書物を見ているのであろう。古典には
鬼神の話が山とあるのに、唯、怪力乱神を言わずと云える一語を邪に心得て、みだりに鬼神を
侮るごととは何の為だ」といって、直ちに下部の鬼に命令して散々に打ち据えた。
鬼の王曰く「この者の背丈を高くしろ」と言うと、鬼ども集まって、首より手足まで引伸ばすに
俄かに身の長三丈ばかりになって、竹の竿のようになった。鬼たちは笑いよどめき、立って歩こうと
したが、揺らめいて打ち倒れた。鬼の王が又言った。「この者の身の長を短くせよ」

鬼たちは、又捕えて、団子の如く捏ね、平らにならすと横ばかりになって蟹のようだった。
鬼たちは手を打って大いに笑った。ある年老いた鬼が言った。
「お前は常に鬼神などはいないと云っていた。今、この体を長く短くさまざまに嬲りもてあそばれ
大きな恥をかいた。誠に不憫なので、ここいらで良いであろう」といって、手でつかんで投げると
孫太郎は元の姿に戻った。
「さあ、これより人間にかえそう」と言うと他の鬼たちが
「このものを唯返しては可愛そうだ。お土産を渡そう」といって、ある鬼は
「私は、角を与えよう」といって二つの角を孫太郎の額に置いた。ある鬼は
「私は嘴をあたえよう」「私は、真っ赤に乱れた髪の毛を」「私は碧に光る眼を与えよう」
などと言ってそれぞれの物を孫太郎に取り付けた。

その後、送られて穴を出て、家に帰ろうと思って今津川原より道に差し掛かれば、額には二本の
角が生えていて、嘴があり、真っ赤な髪を逆立てて、碧の光を含む眼が輝いていた。
さしも恐ろしき鬼の姿となって、熊川に帰り、家に入ると妻も下人も恐れ愕いた。
孫太郎は涙を流し
「これこれの事があってこのような姿となったが心は以前のままだ」と云うに、妻は
「なかなかこの有り様、目の前で見ても情けなく悲しい」と言って、孫太郎に帷子を
打ち掛けて、ただ泣き悲しむしかなかった。幼い子供は恐れて泣き逃げて、近所の人も
集まっては、怪しんで見ていた。孫太郎は、それから戸を閉めて人にも逢わず、物も食べず
部屋に篭ったまま、思い煩って遂には亡くなった。その後はもとの姿の孫太郎が幻のように
家の周りを歩いていたが、仏事を営んだ後は何も起こらなかったと言う。

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37 :好爺:03/03/20(木) 23:04
『紀州和歌山、松本屋久兵衛が女房の事』―諸国百物語より―

紀州和歌山に、松本屋久兵衛と言う者がいた。暮し向きは裕福であったが、不意に患って
亡くなってしまった。その後に未亡人となった妻に入り婿をとって家業を継がせたが、
年月がたち、義理の娘が成人するとその美しさに恋慕して、この入り婿は義理の娘と契った。
母は、これを見つけたが、世間の外聞をはばかって、人にも語らずに朝夕胸を苦しめていたが
この事がいつともなく世間に知れて畜生なみだと世間の者に嘲られるようになった。
母は、この事を思い暮らし、心労のあまり病気になり、亡くなってしまった。
娘は喜んで、夜明けがに野辺に送ろうと、その夜は、棺を座敷に置いたところ、
夜半頃、母が棺の中より立ち上がり、あたりを見わたすと、娘と男と寝ている寝間に行き
娘の喉首を食い千切ると、また棺の中に戻っていってしまった。
人々は、やむを得ぬ事と親子一度に葬礼したという。

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38 :好爺:03/03/22(土) 15:03
『両妻夫割』―新御伽裨子―

五条通り室町のほとりに、俊成卿の玉津島を祭った場所があった。今はその形ばかり残って
人家の後ろにあり、名前を新の玉津島町という。
この所に武右衛門と言うと男がいた。江戸に通う事一年のうち八割、一年のうち二割ほど京に
住んでいた。子供を一人持っていて、彼の妻がいうには
「常の人の契りには、夫婦と成っては、一時も離れる暇を悲しみ、待ちわび、出発の時には
思い嘆いている。いかなる中であれば、契って十のうち三も逢うことが出来ずにいるとは、
悲しい限りで、貴方が東に行く時には、半分道を送って、又半分道に出迎えようかと夢うつつに
思ってしまいます。故郷を思い出していただけるのなら必ず早く帰京してください」などと
恨みがまめしく、しみじみと語ると男は良い返事をして、また東に下っていった。

かくして江戸に着くと此処にも馴染んだ女房がいて子供を一人持っていた。昔、この女を
口説くときに、京に決まった妻がいると云う事を深く隠して
「やもめ住まいの身である私なので、遂には江戸に引越して必ず二人で住もう」と偽りの
言葉をかけていた。しかるにこの女、武右衛門に愚痴を言って責めて
「貴方は、都には私のような女がいて、都の女性を花のように愛しておいて、東の女は田舎者で
荒っぽいとか呼んでいるとさる人が知らせてくれましたよ。昔は約束してくれたではないですか。
本当に一人暮らしならば、幼い子供もいることなので、もはや京に登る事をやめてもらえませんか」
とすがって云う気色は前々には見た事は無いような形相で、まるで鬼面のような表情であったので
男は、甚だ恐ろしく、日頃の思いも絶え果てて、何となく頷き
「私もそのように思って入るが、浮世の事、いろいろあって此処に留まれなかったのだよ。
京に女がいると云うのは、しばしば京に行っている為に疑われてる事で根拠の無い噂しかないよ。
そのように恨みに思うのなら今一度京に登るのを最後にして、すべて始末して必ず戻ってこよう」
と言い捨て、とにかく袖を引き離して、一足早く逃げ登った。

見附の宿(静岡県磐田市)あたりに来た頃にかの女、子供を前に抱きながら大声を立てて追っかけ
「すげないではありませぬか。心に我を疎みながら、口には頼もしげな嘘をついて、二度と放さずに
おくべきか」と飛鳥のように素早くかけて来る。男は悶えながら逃げてはいたが、いつしか女は
追いついてきて、右の腕に掴みついた。
その時に今まで居もしなかった京の妻が忽然と出てきて左の腕に取り付いた。怒れる眼に東の女を
はたと睨み
「二世を兼ねたる我が夫を、年来犯しける妬ましさよ。恨み報いるべし」とわななく声で地に
ひびいた。東の女もいきまいて
「己、何処の何者にてそのような空言をいうのか。いやいや、早々心得た。私をうとんでこの女に
心を奪われているのだな。よしよし、一度取り付いて、これを放すものか」と腕を持って引っ張った。
男は引き離そうとして悶えたが、金剛力士のようにてかなわなかった。京の女もこらえず、都の方へと
争って引いた。その足音は大山も崩れて地に入るかと思うほどで、お互いに怒り罵る声はどうどうと
物凄かった。次第に強く引くほどに男は二つに引き裂かれた。女は東西へ別れて行くと見えたが
かき消すように消えていった。

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45 :好爺:03/03/25(火) 22:51
『家の狗、主の女房を、ねたみける事』―平仮名本・因果物語より―

津の国、兵庫のあたりに、長七と言う者がいた。大阪から酒を取寄せて商っていた。
親は、最近二人ながら亡くなった。長七は、いまだ女房もいなかった。さびしさの
なぐさめになるものならと小型の雌の犬を買い求めた。さまざまの芸をさせて
ことのほか可愛がり飼っていた。夜は懐に寝させて、あるいは朝夕、食をいれる食器に
食べ物をいれて食べさせていた。
「さて、いつまでも独りで暮らせるものか、女房をむかえいれろ」と友達が仲人として
近くの人の娘を妻として迎えた。
この女房を迎え入れる時から、かの犬は女房に吠え掛かり、食いつかんとするほどだった。
「これは、たぶん見知らぬせいだろう」と、さまざま食べ物をあたえ、近づいたが、食べもせず
少しもなつかずに、吠え掛かる事もしょっちゅうだった。
ある時、女房が昼寝をしていると、かの犬ねらって喉笛に飛び掛ったが、狙いを誤って
小袖の襟を食い破った。

「これではとてもこの家に入られません。お暇をくだされ」と言って出て行こうとした。
ならば「この犬をよそに渡そう」とはいっても「そのような犬は恐ろしい」といって
「もらおう」と云う人もいなかった。しからば捨てようとして里の遠くに捨てれば、
捨てにいった人よりも先に帰っていた。西国舟にのせてやると、海に飛び込んで泳いで帰った。
他に方法は無いと犬の首を絞め殺して木の下に埋めてしまった。
「これでもう安心」として月日を重ねる所に女房が懐妊した。懐妊して十月になり、産気づいて
五日ばかりしてようようして生まれた。その子を見れば、形は女の子ではあったが
人のようでは有ったが手足にも身体にもびっしり毛が生えていて、その泣き声は犬のようであった。
親達は大いに恥じ入り愕いたが、その子は暫くして死んでしまった。
さまざまに弔ってからはその後はこのような事は無かった。

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49 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/26(水) 00:09
大阪には昔から、真田幸村には楠木正成の霊が憑いていたという話がある。
夏の陣が起こる前の大阪城内で一人の高僧が周りの者に、
「いつも必ず真田様の横に居られる人は風変わりな格好をされてますな」
と言った。が、誰にも姿が見えない。その僧は、一体どう風変わりなのかを
人々に説明し、結局絵に描くことになった。その時に気付く者はいなかったが、
後にそれが南北朝時代の鎧兜、しかも正成の出で立ちだと判った。
その時の絵自体は現在でも富田林市の某寺に保管されている。

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82 :好爺:03/03/29(土) 22:16
『果進居士が事』―義残後覚より―

近頃、果進居士という幻術を行なう者がいる。上方へとこころざして筑紫よりのぼって行ったが
日を経て伏見にやって来た。ちょうど日能大夫が勧進能を行なっていたが、見物人が貴賎をとわず
満員になっていた。果進居士も見物しようと思ったが、中に入る事も出来ずに立ち入る隙も無かった。
果進居士は間近によって見ることが出来ないので、ここはひとつ芝居をして入ろうと思って、
諸人の後ろに立って下顎をそろいそろりとひねるとみるみるうちに顔の大きさが大きくなるほどに
人々これを見て
「此処にいる人の顔はなんと不思議だ。今まで何ともなかったのにみるみるうちに細長くなっていく」
と恐ろしくもおかしく、これを見るために立ち止まる人がでるほどだった。果進居士は少し傍らへ
よったが、芝居を見ていたものは、芝居をそっちのけで入れ替わり立ち替わり見るほどになった。
顔は二尺ばかりに長くなれば人々は
「外法頭というのはこれであろう。これを見ないでどうしよう。後の話にしようぞ」と押し合い
へしあいするほどで、能の役者も楽屋をあけて見物するほどだった。

居士は今が丁度良い時分と思い、掻き消えてしまい見ている人々が
「これは、稀代不思議の化物だ」と舌の先を巻いてあやしんだ。
さて、果進居士は芝居の見物席がことごとく空いたので舞台の先のよい場所に座席を取って
見物を思うままにした。
また、中国広島と云う所に長い間住んでいたが、その間ある商人から金銀を借りて、生活していたが
上京の際に一銭も返さずに忍ぶように京へときていた。この商人
「にっくき居士かな。何処ににげたのやら」と悔やんでも、しかたなくそのままにしておいたが、
あるときに商売のために京に上った時に、鳥羽の辺りにてこの果進居士に十字路でばったり出会った。
商人はそのまま居士を捕まえて、
「さても久しぶりだな。居士よ。お前は随分私にご馳走になり、金銀の借財もありながら
いたわりの言葉もなしに夜逃げのように京に上るとはどういう心境なんだい」と辱めると果進居士は
面白くなく思い、この商人を見つけるより、又下顎をそろりそろりと撫でると顔の横がふとり
眼が丸くなり、鼻はきわめて高くなった。この商人もこれはと思ったが、居士は

「なんとおっしゃいますやら。それがしは貴方に出会ったのは初めてですよ。以前から知り合いの
ように言われてもなにがなんだかわかりません」と言えば、商人は、はじめは果進居士だと思って
いたが、見れば見るほどに別の人であるので、さては見間違えたかと思って、
「真に失礼な事を申し上げまして、私の知り合いだとばかりに思っていたいたもので許して下さい」
と言って去っていってしまった。後に人々に話して
「これが何より習いたい術だよ」と笑ったと言う。
又あるとき戸田の出羽という兵法者で無双の聞こえもあるものの所へいき近づきになった。
さて、色々様々の物語をしていくうちに居士が言うには
「それがしも兵法を少し心がけております。それほど深くありませんが普通の人には負けません」
と言った。戸田はそれを聞いて
「それは奇特なことですな。ならばちと貴方の太刀筋を見せてもらいたい」といったので、居士は
「さらば」と、木刀を持って立会い「やっ」といったかと思うとこめかみをちょこんと打った。
出羽は夢のようで、更に太刀筋も覚えていなかった。

「今一度」といえば「心得た」とまたおなじ事の繰り返しだった。
「貴方の太刀は兵法というものを超えて妖術をおこなうもので又別のものでしょう」と笑った。
その後に「貴方に八方より立ちかかって打てば身に当てる事はできるかな」と尋ねたら
「思いもよらぬ事」といったので、「さらばあ」とて、十二畳敷きの座敷へ弟子を七人、
戸田を含めて八人が、果進居士を中に置いて、座敷の四方の戸を立てて、打ちつけようと
「やっ」と言ったかと思うと居士は見えなくなった。「これはいかに」と人々はあきれて
「果進居士、果進居士」と呼ぶと「やっ」という。「何処にいるのか」というと
「此処にいる」といった。座敷の中には塵一つなく「さらば、縁の下にもぐっているのかも
しれない。証拠のために見よう」と言って畳をあげて、詳しく見たが何も無かった。
「果進居士」と呼べば答えた。さりとては稀代不思議ともいうばかりだと人々はあきれ果てていれば
真ん中に出てきて「何か尋ねる事はあるかね」といった。人々は「なにもいうこともない」と
顔をみあわせた。
「このような術をつかえばたとえ百人千人寄ったとしてもかなわないだろう」といってうらやんだ。

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91 :好爺:03/04/03(木) 09:36
『筥根山火金の地蔵にて、火の車を見る事』―奇異雑談集より―

ある人の語った話である。伊豆の国箱根山の権現の傍らに火金(ひがね)の地蔵と言って
霊験いちじるしいお堂があった。権現の参拝の人は必ずこの地蔵に参るほどだった。
駿河の府中に、屋形衆朝日名孫八郎殿という人がいたが、その隣に地下人左衛門という人がいた。
天文五、六年(1740、41年)の頃、伊豆の三嶋に、所用があって出かけていたが、
四、五日逗留しても所用が済まなかったので、まず箱根の権現へ参拝して、そのついでに
火金の地蔵にも参った。仏前に看経して、しばらくすると女性がひとりで入ってきた。
見れば、自分の隣の朝日名殿の奥方であった。顔色が蒼白く、やせ衰えて、姿見苦しく、
まるで幽霊のようであった。大家の奥方ゆえに側近や家来が多くつくはずなのに、只一人とは
不審である。ことに自分が仏前にいるのに気付きもせず、一目も見なかった。なおも、不審な事に
地蔵の錫杖自然に振る声がたかく聞こえているのに仏のそばには人はいなかった。これもまた
不審な事だが、晴れ上がっていた空が俄かにかき曇り、黒雲そらにみちて、震動雷電し、光だした。
黒雲が地に落ちて雲の中から火車が出てきて、かの女性の後ろにやってくると、空に
「ひひひひ」と鳴る声が聞こえた。

何物の声とも分からず、雲の中から鬼神が現われて、
女性をつかんで火車にのせて去って行った。地蔵堂の前に無間の谷という谷があり、火車がここに
ついたと思う時分に、大きな響きにてどうと鳴る音が聞こえて、雲が晴れ上がった。
かの左衛門は、仏前にあって恐れ、肝魂を失えども、気を静めてよく見ていた。
地蔵堂を管理する僧官に聞いた。
「今不思議な事が起きたが、こんな事は前にあった事があるのか」と言えば、僧官は
「かくのような事が常に有るゆえ、私は驚きません。或いは雨の振る日、或いは日の暮れる時
姿は見えないけど行く足音が聞こえたり、或いは無き悲しんでいく声が聞こえ、或いは馬に
乗って行く音が聞こえたりする。この無間の谷だけではなく、この山の奥に地獄谷と言って
熱湯が沸きかえり、硫黄が出てかたまる所が多い場所を地獄と伝え聞く」と言った。

左衛門はさらに「僧官どのも先の女性を知ってらっしゃいましすか」と聞けば
「中々よく見たりするお方ではありません。魂魄幽霊である事は間違いないでしょう」といえば
左衛門は「さては、朝日名殿の奥方は死去なされたか。いたわしい事かな。僧官どの
見られたとおりですので、弔わせて下さい」といった。また、三嶋の里に行って、四、五日あって
所用が済んで、府中に帰った。
自分の家に帰ると妻が「朝日名殿の奥方が亡くなられていま中陰です」と言った。
それについて自分が見た不思議な事を話すとみんな驚き、家族の者は涙した。
その中にはその話を疑う者もいたが、幽霊を見た日と亡くなった刻限と同じであったので
みな更に驚いたと言う。

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99 :好爺:03/04/09(水) 08:09
『猟師の母親が鬼となる話』―今昔物語より―

今は昔のこと、ある国のある郡に、鹿や猪を取るのを習いとする二人の兄弟の猟師が
あった。いつも山にはいって鹿のあとを追っていたから、兄弟がいっしょのことが
多かった。待という方法を用いた。それは、高い木の股のところに、横ざまに太い
棒を結びつけて陣取り、鹿がその下を通るのを待ち受けて射るのである。
そこで四、五段ばかり間を置いて兄弟が向かい合って二本の木上にいた。九月の下旬
のころで、月もない真っ暗闇、何一つ見えない。ただ、鹿の来る足音を待って、耳を
済ませているが、夜がしんしんとふけて行くばかり、鹿は来ない。
そのうちに、兄のいる木のほうから、何物か、手を差し伸ばして、兄のもとどりを
ぐいと掴み、上へ引き上げる者がある。兄はぎょっとなって、もとどりを掴んだその手を
探ってみると、骨と皮ばかりのやせ衰えた人の腕である。これは鬼が自分を食おうとして
掴んで引き上げるのだ、と気がついたから、向うにいる弟に知らせようと思い、その名を
呼んで、弟が答えたので
「仮に、俺のもとどりを掴んで引っ張り上げる者がいたとしたら、お前はどうする」
と尋ねてみた。

「見当をはかって射止めてやります」と弟が言う。
「ところが実は、現に俺のもとどりを掴んで引っ張り上げる者がいるんだ」
「それなら、兄さんが声をかけてくだされば、その見当で射止めましょう」
「それじゃ、やってくれ」と言う声を目当てに、矢じりが二股にわかれた雁股矢を切って
放したが、兄の頭の上に矢が飛んでいったと思うまに、手応えがあったから
「どうです、当たったようですよ」と弟が声をかけたから、兄はもとどりの上を手探り
してみると、手首のところから切り取られた手がぶら下がっていた。そこで弟に
「鬼の腕は確かに切り取った。俺がここに掴んでいる。しかし今夜は、これでもう帰ろう」
と言えば「それがいい」と弟も賛成して、二人とも木から下り、つれだって家路についた。
夜中すぎに、家に着いた。
ところで二人の兄弟には年をとって立居も不自由な母親がいたから、それを壺屋(物置の
ような部屋)に住まわせて、兄弟はその壺屋を囲むように、左右の隣り合った部屋に住んで
いたが、夜中に帰ってみると、壺屋の中で、いつになく母親のうめく声がする。
「お加減でも悪いのですか」と二人が聞いても返事もしない。

そこで灯を点して、切り取った手を見ると、どうも母親の手に似ている。不思議に思って
よくよく調べてみると、まごれもなく母親の手らしいから、急いで母親のいる壺屋の潜り戸を
開いてみると、母親はむっくりと起き上がって
「お前等は」と飛びつこうとする。
「これは貴方の手ですか」と言って、部屋の中に投げ入れ、戸を閉めて逃げ出した。
その後、この母親は間もなく死んだ。兄弟が近寄って見ると母親の片手は、手首のところから
射られてなかった。そこで、やはり母親の手だということが知れた。これは母親がひどく
年をとって、鬼になり、子供を食おうと思って、あとについて山に行ったものである。
人の親のひどく年をとったのは、必ず鬼となって、このように子供を食おうとするものだ。
この二人の兄弟は厚く母親を葬ったが、なんともきわめて恐ろしい話である。

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103 :好爺:03/04/13(日) 01:49
『耳切れうん市が事』―曾呂利物語より―

信濃の国、善光寺の中に比丘尼寺があった。また越後の国にうん市と言う座頭がいた。
常にこの比丘尼寺に出入りしていた。ある時病におかされて、半年ほど訪れなかった。
少し治ってから、この比丘尼寺に行った。主の老尼は
「うん市とは久しぶりだな。一体どうしていたのですか」と言えば、
「久しく病気をしておりましたので、お顔を出す事ができませんでした」と答えた。
ともかく、その日も暮れてきたので
「うん市は客殿で泊まられよ」といって老尼は方丈に入っていた。
ここに“けいじゅん”という弟子の比丘尼がいたが、三十日ほど前に亡くなっていた。
このけいじゅんがうん市の寝ているところへ行って
「お久しぶりです。さあ、我々の寮へ一緒に行きましょう」と言った。うん市は死んだ人間
とは知らずに
「そこへ参るのは別にかまいませんが、あなたお一人の所へ行くのはどうかと思いますが」と言った。

「いやいや、別にかまいませんよ」と無理矢理に引き立てて行った。寮の戸を中より強く
閉ざして、明くる日は外へも出さずに、一日が暮れていった。
うん市は気詰まり、どうしようかと思いながらもするべきことも無かった。
どうにかして外へ出ようとして辺りを探したがいかにも厳しく閉ざされていて出て行く事が出来なかった。
夜が明けてけいじゅんは帰っていった。
このようにして二晩過ぎたが、そのうちに食べ物も無くなり三日目の暁に寮の戸を激しく叩いた。
直ちに寺中の者が出てきて扉を蹴破って見るとうん市がいた。
「何でこんな所にいるのだ」と尋ねると「ここに居ろと言われていたのだ」と答えた。
見れば、肉はほとんど無く骨ばかりでさも恐ろしい姿であった。
「一体どうしたんだ」としつこく聞けば「しかじかの事で・・・」と答えた。
「けいじゅんは三十日ほど前に亡くなっているのですよ」と言えばいよいよ興ざめてきた。

一つはけいじゅんの弔いの為、もう一つはうん市への怨念を払う為に寺中寄り合い
百万遍の念仏を唱えた。各々鐘打ち鳴らし誦経している時に何処とも無くけいじゅんが姿を現し出てきた。
うん市の膝を枕にして眠っていた。念仏の功力によって寝入った居る隙にうん市は枕をはずして
「はやく国に帰ってしまいなさい」といって馬を用意して送り出した。
道すがら、いかにも身の毛がよだち、後より取りつかるように覚えて、行き悩むように思い
ある寺に立ち寄り、長老に会って「しかじかの事があって困っております。お頼み申します」と言った。
「さらば」といってそこの寺に居た僧が寄り合って、うん市の体に尊勝陀羅尼を書き付けて仏壇に立て置いた。
その後けいじゅんがさも恐ろしき有り様にて、この寺にやって来た。
「うん市を出せ、うん市を出せ」とののしりて走り回ったがうん市を見つけて
「ああ、可愛そうに、座頭は石になってしまった」と撫で回して、耳に少し陀羅尼の
足りない所を見つけ出して「ここにうん市が切れ残っている」といって引きちぎって帰っていった。
さて、命だけは助かって本国に帰ったが、耳切れうん市として越後の国では有名になった。

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113 :好爺:03/04/15(火) 00:36
『安部宗兵衛が妻の怨霊の事』―諸国百物語より―

豊前の国速水の郡(大分県速見郡)に安部宗兵衛というものがいた。
常々、女房に邪見にして、食べ物も満足に与えずに、女房はこれをくやしく思って、患ったが
薬も与えずになおも辛く当たった。女房は十九歳の春についに亡くなった。
すでに末期と言う時に、宗兵衛に向って今までのつもりつもった恨み言を言い
「いつの世ににかは忘れ申さん。やがて思い知りたまえ」と言って亡くなったが
死骸を山に捨てて、弔いもしなかった。
死して七日目の夜半のころこの女房が腰より下は血潮にそまり、長い髪をさばき、顔は緑青のようで
お歯黒をつけ、鈴のような眼を見開き、口は鰐のようで、宗兵衛の寝間にやって来た。
氷の様な手で宗兵衛が寝ている顔を撫でれば、宗兵衛も身をすくめてしまった。

女房はからからと打ち笑い、宗兵衛のそばに寝ていた新しい妻を七つ、八つに引き裂き、舌を抜いて
懐へいれると
「それでは、帰ると致しましょう。また明晩参りましょう。長年の恨みをはたしましょう」と言って消え失せた。
宗兵衛は驚き、貴僧、高僧をたのみ、大般若を読み、祈祷をし、あくる夜は、弓、鉄砲を門や戸口、窓口などに
防備をかためて待ち構えていると、夜半頃かの女房がいつのまにかやって来た。
そして、宗兵衛をつくづくと眺めていた。
宗兵衛はなにやら後ろ寒く覚えて、振り返ってみるとかの女房、きっと見つめて
「さても、用心ぶかいことであるな」と言って、宗兵衛の顔を撫でたかと見えたが
俄かに凄まじき姿となって、宗兵衛を二つに引き裂き、あたりに居た下女を蹴殺して
天井を蹴破って、虚空にあがって消えていった。

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117 :好爺:03/04/17(木) 23:46
『生きながら地獄に落つる事』―片仮名本・因果物語より―

肥前の国、雲仙岳へ三人で一緒に参詣した。一人は、豊後の町人、一人は出家した僧で
肥前の人、もう一人は浪人であった。出家していた僧の寺に宿を借りていた。
この坊主、地獄(温泉地などで熱湯がたえず吹き出している所)湧き出ている所へ
少し指を差し入れて「そんなに熱くないなぁ」と言って指を引き出したら、彼の指は
熱くてかなわず、また指を入れると熱さがやんだ。
これで心地よいと指を引き出すと、いよいよ熱さ増して耐えかねて、また指を入れて
とにかく引出す事が出来なくなった。次第次第に深く入れていき腕がみんな入ってしまった。
また引き出してみれば、いよいよ熱くて耐えられず、終いには体すべて入って、頭だけ出して
一段と心地良くなった。
去っていきながら「下に強く引かれていく」と言って、最後には目を大きく見開いて、
恐ろしい事だと悲しみながら入っていってしまった。
二人の同行者はあきれて、泣く泣く帰っていったという。

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119 :好爺:03/04/18(金) 08:47
「世界リンチ残酷史」より
ローマ皇帝マクセンティウスの時、伝説上の受難者とされているカタリナは、エジプトのアレクサンドリアに
住み、キリスト教を信仰する王族の若く美しい女性であった。彼女が公然とローマ皇帝を非難していたので
皇帝は五十人の哲学者を送り込んで論戦を挑んだが、帰って彼女に論破され、五十人の哲学者たちは
キリスト教に改宗してしまった。皇帝はこの敗北を認めた五十人の哲学者を捕えて火刑にしてしまった。
マクセンティウスは結婚を申し込んで懐柔しようと図ったが、彼女はキリストと婚約していると言って
煙に巻いて断った。ついに皇帝は実力行使に出た。彼女を捕えて牢獄に下し、拷問吏たちに長期にわたる
鞭打ちを命じた。彼女の豊かな尻や背中に朱のような線が走っていったが、改心させることはできなかった。
それどころか、警備をしていた兵士たち二百人がキリスト教に改宗してしまう事態に至った。
そしていつの間にか、皇帝の后までもがその仲間に加わっていたのであった。自分の足下こそが危ういことに
皇帝は気付いた。一刻の猶予もならない。皇帝は、車輪の横に釘が突き出た拷問具の間にカタリナを引き据え
車輪を回して大根すりのように引き裂いて処刑することに決めた。こうすれば、釘を打ち込むより
さらに悲惨な状況が出現するはずであった。処刑当日、野次馬が取り囲む中で車輪が回されたが
突然車輪が壊れて周囲の観衆を負傷させてしまった。皇帝はそれを知って失望したが、待つことは
出来なかった。彼女はその場で斬首によって処刑され、醜い姿にならずに絶命した。

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125 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/04/24(木) 20:18
●二ツ池(鶴見区)
 むかしむかし、獅子ケ谷と駒岡の間に、恐ろしい竜のすむ池がありました。
ある時、一人の村人が池に石を投げると、怒った竜が池の底から現れ、大暴れをして
その村人を殺してしまいました。
それからというもの、村人たちは竜をこわがり、ご機嫌をとろうと、
毎年、村の娘をいけにえとしてささげることにしたのです。
熊使いの蓑吉(みのきち)のいいなずけが、いけにえに選ばれた年のこと。
恋人をわたすものかと蓑吉は十頭の熊を引き連れて池へ行き、わざと池に石を
投げ込みました。すると怒った竜が姿を現し、嵐を呼んで、熊たちに襲いかかりました。
熊たちも竜にかみつき、すさまじい死闘が続きました。

 嵐が静まった後、池には死に絶えた熊たちと息たえだえの竜の姿がありました。
竜は最後の力をふりしぼり、天に昇ろうとしましたが、力つき、
池の上に倒れ込んでしまったのです。
そして、倒れた竜の体が堤となり、池は二つに分かれてしまいました。
それ以来、この池は「二ツ池」と呼ばれるようになったということです。

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131 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/04/27(日) 02:15
鉄鉢の托鉢

昔、信貴山のお寺に命蓮というお坊さんが住んでいました。
長い年月、血の出るような激しい修行をつんだ徳の高いお坊さんで、
色々不思議な力を持っていました。命蓮さんがお祈りをしますと
鉄鉢が空高く飛び走り、命蓮さんの代わりに托鉢をするのもそのひとつです。

ある日、山城の国(京都府)の山崎に住んでいる長者の家に、
この鉢が飛んで来ました。
長者は昔、信貴山の毘沙門さまに信仰し、大変な御利益をいただいて
大金持ちになったのです。
しかし その事はケロリと忘れね長者は
「またこの卑しいはちが飛んできた」と言って、米蔵の中に
鉢を入れたまま、忘れて鍵をかけてしまいました。
閉じ込められた鉢は、夕方になっても帰ることが出来ません。
仕方なく、鉢は米蔵ごと飛び始めました。

びっくりしたのは長者です。
「米蔵や待てー、米蔵やまてー」 必死で後を追い、
とうとう信貴山まで来てしまいました。
そして、長者は命蓮さんにお詫びを言って、米俵を返してもらったと言います。
それ以来、長者は貧乏なときを思い出して一生懸命に働き、
また困っている人には優しく親切にするようになりました。

こうして人々から尊敬されるようになった長者はますます栄えたということです

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133 :好爺:03/05/01(木) 00:29
1685年にドイツのニュールンベルグの西にあるアンスバッハ市で、市長が死亡した後に
彼が人狼となって家畜を襲い、子女を襲って貪り食ったと言う事件が起きた。
実際は、ただの狼であったが、少なくとも市民はそう考え、その狼を殺害し、狼の死体に
人間の皮膚と同様にこしらえたピッタリした皮を着せ、その上に市長が着ていたのと似た
服を着せた。頭には市長の頭髪に似たこげ茶色のかつらをかぶせ、白い口髭をつけ、
狼の鼻を削り取って元市長の特徴をかたどった仮面をかぶせた。そうしてから裁判所から
死刑の判決を仰ぎ、絞首刑に処した。

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135 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/03(土) 23:54
犬人三神【西条市】
黒森山加茂鉱山坑道辺り。柱谷-主谷(おもたに)合流点の崖の上。

槍投げで熊としとめる名人の川村新蔵という猟師が土佐からやって来て、
中之池のウワナル(上平?)や川来須(かわくるす)の民家に泊って
熊狩りをしていた。
※ウワナルの屋敷跡は現存するという。

新蔵は百頭熊塚を建てて供養することを念願としていた。
あと1頭で念願叶うというある日、桑瀬峰の西、黒森の東の狭間へ
愛犬の白と黒を連れて熊狩りに出掛けた。
日暮れになり、岩陰に潜む熊を見つけた。しかし足場が悪く、槍を橋にして
谷間を渡ろうとしたが足を滑らせてヒゾロ谷に滑落してしまった。

2匹の犬はこれを知らせようと川来須の村人のところまで戻ったが
誰一人気付いてくれない。仕方ないので谷に引き返し、新蔵の着物の裾を噛みちぎり、
再び村人のところへと戻った。
戻りが遅いと心配していた村人は、犬が新蔵の着物をくわえているのに気付き、
異変があったことに気付き、ヒゾロ谷へと急いだが新蔵は事切れていた。
村人は惜しんで、石を積み新蔵を祀ったが、
愛犬はその場所を一歩も動こうとはしなかった。
そして主人の後を追って死んでしまったという。

村人は大層哀れんで両犬も合祀し、犬人三神と名付けたという。

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136 :好爺:03/05/05(月) 02:07
オーストリアの作曲家シェーンベルグは、ナチスに追われてアメリカに亡命して
カルフォルニアのハリウッドに住んだが十三という数字を異常に恐怖していた。
かねてから心臓が悪く、自分はきっと十三日に死ぬだろうと信じ、毎月十三日が来ると
不安におびえ、十三日の夜は妻がそばに座って手を握っていてらやなくてはならないほどだった。
1951年七月十三日の夜夫妻はいつものように二人でじっと座っていた。
そして時計が午前零時になったので、シェーンベルグは安心して二階の寝室に上がっていった。
妻は台所に行って催眠用の飲物を作り、しばらくして寝室に上がってみるとシェーンベルグは
手折れて死んでいた。妻はビックリして寝室の時計を見た。するとその時計はまだ零時になっていなかった。
階下の時計は何分か進んでいたのであった。

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この記事へのコメント

好き 

こういう話好きだな。

  • 2009年06月06日 21:05
  • おならぶー #-
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  • [ 編集 ]
あ。 

コメ1を書きたかっただけです。
こういうネタは好きではないです。嘘ついてごめんなさい。

  • 2009年06月06日 21:36
  • おならぶー #-
  • URL
  • [ 編集 ]
 

興味深く、又読みごたえがありました
これからも期待してます!

  • 2009年06月08日 11:57
  • ゆ #-
  • URL
  • [ 編集 ]
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