週刊弐式(ry

今年はみんなに明るいことがあればいいな

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世界食人史  3人目

世界食人史  3人目

1 :世界@名無史さん :2005/08/18(木) 21:07:46 0
人を食ったスレもついに3人目!
飢饉、戦乱の仕方無しの人食い、変態殺人鬼の悦楽の人食い、
そして「文化としての食人」についてお腹いっぱい語りましょう!

一人目
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/990595677/l50
二人目
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1040466301/l50
関連スレ
「人肉食文化」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/963544411/l50

「■■ミルウォーキーの食人鬼にはびびった part4■■」
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1037322093/l50

「首狩りの盛んな地域と作法」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/998386137/l50


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2 :世界@名無史さん :2005/08/18(木) 21:11:41 0
北宋の末期、女真族の侵入で飢饉に陥った人々は官民問わず人肉を食べ始めた。
范温は義軍を組織して戦ったものの破れ、舟で臨安に逃れた。彼に付き従う兵士達は
人肉の乾し肉を携帯していた。彼らはそれを両脚羊(二本足の羊)と隠語で呼び、
そのうちで若い女の肉は「不羨羊」(羊より美味い)、子供の肉は「和骨爛」
(煮れば骨まで食べられる)と呼ばれた。

元王朝の末期、各地で叛乱が勃発し、食糧難に陥った官軍は人肉食に走った。
最上品は子供の肉、次に女。男の肉は最下層だった。
料理法は様々にあり、大瓶に放り込んで炙り焼きにしたり、網で焼いたり、
さらに趣向を凝らして熱湯をかけてから竹箒で皮をこそげ落とし、肉を切り取って
油炒めにして食べたりなどもした。
特に男の両腿と女の乳房は「想肉」(懐かしの肉)と呼ばれて珍重されていた。
あまりの旨さにまた食べたくなるからである。

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3 :世界@名無史さん :2005/08/18(木) 21:13:58 0
五胡十六国時代の後趙の石季龍の太子、石邃は荒淫残虐な男だった。
美しい尼僧を誘拐しては強姦して殺し、死体は羊や牛肉と共に煮込んで賞味した。

隋末期の諸葛昴と高贊は互いに富や権勢を誇りあっていた。
ある日高賛が諸葛昴を宴席に招いた。食卓には十歳くらいの双生児の煮物が
頭、手、脚と別々の大皿に盛られていた。満座の客は吐き気を押さえるのが
精一杯だった。
数日後、今度は諸葛昴が高賛を招いた。お気に入りの愛妾を高賛に侍らせて
酒をつがせようとしたが、彼女が訳もなく笑ったのを見て叱りつけて退がらせた。
しばらくして、彼女は胡座をかいたままの姿で蒸し肉と化し、特大の銀皿に
乗せられて再び宴席に姿を現せた。頬には白粉がのり、あでやかな刺繍入りの
衣装を着せられている。諸葛昴は自ら太股の肉をほぐして高賛に取り分けた。
満座の客が卒倒する中、諸葛昴は平然と乳房の肉を美味そうに喰ったという。

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8 :世界@名無史さん :2005/08/19(金) 23:45:23 0
唐の則天武后の時代、杭州の臨安県の薛震は人肉が大好物だった。
あるとき借金取りが従僕を従えてやってくると、言葉巧みに招き入れてしこたま
飲ませた挙げ句殺害し、遺体を水銀と共に煮て「人肉醤」をこしらえた。
彼は妻までも煮て食べようとしたために妻に訴えられ、棒打ちの刑で打ち殺された。

同時代、嶺南に陳元光という男が居た。宴会の最中、使用人の酒のつぎ方に
難癖をつけ、彼を殺した。そしてその肉を煮込み、客に「初物」と称して
振る舞った。客は人肉とはつゆ知らず、美味そうにつつく。最後に鍋の底から
両手が現れた。事の真相を知った客達は半狂乱になって吐き出した。

北宋時代、孝明皇后の異母弟の王継勲は素行不良のため官職を追われていた。
鬱々と日々を過ごすうち、使用人の肉を切り取って食べるのが楽しみとなった。
やがて彼は官職に復帰はしたものの正確はますます歪み、少年少女を買い取っては
奴隷にし、わずかな過失を言い立てては殺して煮て食べた。
太宗皇帝の即位後に民の訴えで悪事が露見し、本人も数百人の少年少女を殺して
食べたことを認めたために洛陽で斬首刑となった。

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10 :世界@名無史さん :2005/08/19(金) 23:46:30 0
南北朝時代の宋の劉邑の好物はなんと「かさぶた」。その味は鮑にも勝ると
言っていた。ある時友人の孟霊休の家に行くと彼にはかさぶたが出来ていて、
床にも数片落ちていた。劉邑はかさぶたを拾い上げると口に運んだ。
孟は驚いたが、まだ傷口に付いているかさぶたも剥がして食べさせた。

この劉邑が南康で官職にあったとき、二百人もの部下全員に有罪無罪かは
関係なく鞭打ちを喰らわせ、傷口にかさぶたが出来ると剥がして食用にした。

部下は「食用家畜」だったのである。

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12 :世界@名無史さん :2005/08/23(火) 21:23:02 0
大凶作の際に蛋白質として人間を求めたのは別に中国だけじゃなく
アステカとかでもやっているから別段、人肉食習慣には異を唱える
気は無いな。


13 :世界@名無史さん :2005/08/23(火) 23:37:24 0
別に大凶作じゃなくても食べてましたが何か?


一種の信仰と言うか迷信と言うか、「人肉を食うとその人間の力が宿る」の変
形(?)で「人肉には病気を癒す力がある」と本気で信じていたからね。
本来食人風習の無い本邦にもその「最新医学」とやらが入ってきて「安達ヶ原
の鬼婆」なんかが出来上がってしまったんだろうね。


14 :世界@名無史さん :2005/08/24(水) 01:15:08 0
日本でもライ病には人肉が効くとか、ピカドンの火傷や原爆病には人骨が効く、
といったような迷信があったからな。


17 :世界@名無史さん :2005/08/27(土) 20:18:29 0
>>13の鬼婆から考えると日本でも平安鎌倉から人肉についての何か
特別なものが伝わっていたのかね。


19 :世界@名無史さん :2005/08/28(日) 19:28:20 0
みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか(平兼盛「拾遺集」)

思ひやるよそのむら雲しぐれつつ安達の原はもみぢしぬらん(源重之)

まゆみ散る安達が原に朝たてば木の葉くつはく駒のつま音(源有房)

しぐれゆく安達の原の薄霧にまだ染めはてぬ秋ぞこもれる(定家)

わがためはこれや安達の黒塚に夕草わけて人は入りにき(藤原行能)


>>17
唐か宋、あるいは半島から来た医者が「病の特効薬」として勧めたのが人の生き胆。
ただ、現代で言うところの「東洋医学」と同根ではあろうけれど、現代人的視点からすれば「呪術医」に近いと思う。
まあ近代以前はそっちの方が一般的だったわけだが。
歌がこれだけあるところを見ると、伝説の元ネタ自体はかなり古そう。
元が「鬼」なのか、元々「鬼婆」なのかは山野氏にでも伺うがよろしいでしょう。

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22 :世界@名無史さん :2005/09/01(木) 17:08:25 0
ヒストリエでさ、

息子の人肉と知らずに食わされた人がいたっていうけど、
食ってすぐ気づかなかったってことは、

人肉の味って、案外そこらの食用肉と
味かわんないのかな?


31 :世界@名無史さん :2005/09/02(金) 23:08:07 0
アステュアゲスがハルパゴスの息子を殺して父親本人に食わせるくだりかな?

アステュアゲスは宮殿に来たその子を殺して五体をバラし、胴体の部分を調理して、何も知らずに宴会場に来たハルパゴスの席に、その人肉料理を運ばせたのだ。
彼が満腹した頃を見計らってアステュアゲスは、料理はうまかったか、と訊く。
大変結構でございました、と答えたハルパゴスに、それじゃデザートという感じで、召使いが覆いをした籠を持ってくる。
好きなものをお取り下さい、と言われてハルパゴスは覆いをとり、そこに息子の頭と手足を見出すのである。
ちなみにこの手の人肉を喰わせる話はけっこうちょこちょこ見ることが出来る。古代人は現代人と感覚が違うのか、
それとも単に王様だからやることが違うのかは知らないが……。
ハルパゴスはその場ではいっさい騒いだりせず、ただ冷静にその仕打ちを受け入れたという。


32 :世界@名無史さん :2005/09/02(金) 23:50:43 0
>>22
唐代中国の崔雍って人は、自分の息子の肉食ったときに、
「珍しい味ですね」って言ってるよ。人間とは思わなかったけど、
豚とも牛とも違うみたい。
(出典:北夢瑣言巻十)
こういう話ってドコにでもあるよね。講釈師とかが考えることって
世界各国共通なのかなぁ…

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28 :世界@名無史さん :2005/09/02(金) 07:38:22 0
キリスト教圏って食人についてはあんまりタブーというか、背徳的な考えは
薄いんでしょ?だってキリストの血と肉はワインとパンだっていうし。


29 :世界@名無史さん :2005/09/02(金) 22:22:05 O
カトリックは十字軍時代の兵士の食糧不足を倒した敵兵の肉で補うことを容認し、それを聖体拝領と同一視した。

「人間の魂は死ねば肉体を離れ神の元へ行く。だから残る肉体は抜け殻であり、それを食べて生きるのは神の思し召しである。」

この解釈には引くが、

アンデスの聖餐の生還者に対して、もローマ法王は神学上の論議を重ねた末に彼らに赦しを与えた。

これはいい話だとオモタ。

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33 :世界@名無史さん :2005/09/04(日) 21:18:38 0
イスラム圏は余りこうした逸話がないな。


34 :世界@名無史さん :2005/09/04(日) 23:10:45 0
「アラビアン・ナイト」みたいなものでもあったかな?
人食い魔人とか食人族の話しは記憶にあるが。


35 :世界@名無史さん :2005/09/05(月) 05:33:09 O
千夜一夜物語なら全部読んだけど、どっかにあったっけか?
刑罰で手や足をぶった切ったり殺したりはするけど、人肉食う話はちょっと思い出せない。


39 :世界@名無史さん :2005/09/05(月) 22:45:46 0
>>35

シンドバットの冒険の話で、船が難破して人食いの一つ目巨人の住む島に流れ着く話があるじゃないか。
巨人は一日に一人ずつ人間を捕まえては焼いて食う。
そこでシンドバットたちは串で巨人の目を潰し、何とか逃れ出る。
これは「オデュッセイア」からパクッたネタかな?

あと、七人兄弟が王様に身の上話をする話の中に、こんな話がある。
兄弟の一人は肉屋をやって羽振りのいい生活をしていたが、あるころから一人の風変わりな爺さんが
肉を買いにくるようになった。その爺さんが出す金は鋳たばかりのようにピカピカだったので、
肉屋はその金だけ別にしておいた。ところがその金がいつの間にか木の葉に変っていた。
爺さんの正体はたちの悪い魔法使いだったのだ。
怒った肉屋は次に爺さんが買いに来たときを見計らってつかまえた。すると爺さんはとっさに
魔術で、肉屋の商品をみんな人肉に換えて「この肉屋はこんなもの売っているぞ!」と喚いた。
肉屋は袋叩きにされ、片目を潰された・・・

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36 :世界@名無史さん :2005/09/05(月) 19:29:53 0
他の地域では人外のモノが人間を食う物語。
シナでは普通の人間が人間を食う物語。

ヨーロッパにも一応こんな話がある。
(グリムでもなくアンデルセンでもなく、実話らしいのだが。)
貧しい農家に生まれた少年が、村から都市に逃げ込んだ。
やがて自由の身となった彼はその都市で働き始めた。
商才があったのだろう。
およそ二十年後には、都市の代表となるくらいの立派な商人となっていた。
しかし、歳を重ねる毎に貧しい村に残してきた家族への想いがつのる。
年老いたであろう父母や幼かった妹はどうしているだろうか?
彼は身分や氏素性を隠しひとりの旅人となって、こっそりと彼らの様子を窺いに行った。
貧しいながらも、家族の皆は元気でやっているようだ。
やがて日が暮れ、旅人として元の家に泊めてもらおう。
そして機を見て素性を打ち明け、家族皆を都市に招こう、と彼は心に決めた。

暗い夜。暗い家。
少し離れれば誰の顔なのかの区別も付かない。
旅人として迎え入れられ、空腹のままベッドに横になる。
すると、彼の実の妹が娼婦のように関係を求めてくる。
なんとか拒絶した彼は、やがてウトウトと眠りにつく。
そして、寝返りをうった瞬間、頭の辺りにドスンと大きな物音。
振り返ればベッドに突き刺さった斧。
それを引き抜き、彼に一撃を加えようと再び斧を振りかぶる彼の実の父。

這う這うの体で逃げ出した彼は、やがて彼の家族の本性を知る。
彼らは、全て知っていたのだ。
実の兄と知っていながら関係を求めてきた妹。
実の息子と知っていながら殺そうとし、金品を奪おうとした父母。
その家の敷地からは夥しい数の人骨が掘り出された。
彼の家族は、旅人を泊めては殺し、金品を奪い、その肉を食っていたのだという・・・。

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138 :世界@名無史さん :2005/10/10(月) 15:30:39 0
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         ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ 

新安王・朱有[火喜](しんあんおう・しゅゆうき)
明の王室の一人で、人を食べるのが大好きな変態。余りの変態ぶりに王位を剥奪されたという。
史書には「性狼戻。嗜生食人肝及腦膽。常以薄暮。伺有過門者。輙誘入殺而食之。其府第前。日未?。即斷行跡。
……乃出帝系。亦宗藩異事也。」とある。

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163 :世界@名無史さん :2005/10/26(水) 17:30:03 0
中世フランスでの話

マコンの町から三マイル離れたシャトネイの森に、聖ヨハネに献じた堂がある。傍らの小屋の住人は
通りかかる旅人を泊めては、殺していた。死骸を食って生きていたのである。ある日、夫婦連れの
旅人が宿を乞うた。疲れを休めながら小屋の隅に目をやると、男や女や子供の首が転がっている
ではないか。色を失った客は妻の手を取り、命からがら走り出てマコンの町にたどりつくと、この
恐ろしい体験を伯オトンをはじめ町の者に訴えたのである。人々が駆けつけて調べたところ、人間の
首四八個が見つかった。いずれも、例の男が喉を切って殺し、肉を食ったのである。男は町に連行され、
穴蔵の梁に吊るした上、火に投じられたが、この処刑は著者自身が目撃したところである。
(ラウール・グラベル『年代記』)

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161 :世界@名無史さん :2005/10/24(月) 09:49:42 0
ニューギニアには食人の習慣によって伝染する病気があった。
確か「グールー」という名前だったような。


162 :世界@名無史さん :2005/10/24(月) 22:28:00 0
クールーでござる。
狂牛病と同じプリオン病だそうだ。


164 :世界@名無史さん :2005/10/28(金) 01:10:34 0
>>161
あれは死者の肉体を遺族が食べるって宗教的な習慣じゃなかったかな。
跡取りが脳とか地位によって食べる場所が決まっていた。


166 :世界@名無史さん :2005/10/29(土) 19:28:39 0
日本では人体が漢方薬として高値で取引されていた。
江戸時代では処刑された遺体から切り取られ
首切り役を勤めていた山田家はその役得のため裕福だった。


167 :世界@名無史さん :2005/10/29(土) 23:23:50 0
人体って言うか「肝」な。

面白いのは、現代医学の学者さんの中に吸血とか食人に関して肯定的な意見を言う人がそれなりにいるって事。
もちろん倫理的に肯定しているわけじゃなくて、あくまで人体を物質として見た場合。
栄養価とかでもなく、元々が人体を構成している物質なんだから(理論的には)吸収率が良いらしい。

もっとも、上のクールー病みたいな例もあるから全てが良いとは限らないと思うが・・・。

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170 :世界@名無史さん :2005/10/30(日) 22:58:03 0
中国にも、人間の肉を食べると病気が治るという迷信があると聞いたことがあります。
病気の親に子供が自分の肉をあげるのは、親孝行とみなされていて、明治頃までこの風習はあったそうです。

他に貝塚から見つかった人間の大腿骨に切創があって、骨髄を食べた形跡があった。
というのも以前読んだ本に載っていました。

でもカニバリズムについての本は嘘くさい例もあったりして、どこまで本当か確信はないのですが…


171 :世界@名無史さん :2005/10/31(月) 04:53:13 0
「骨噛み」というものらしく、食った跡ではないらしい。
詳しくは考古学板あたりで聞いてね。


172 :世界@名無史さん :2005/10/31(月) 11:36:16 0
>170
なんかロシアにもあった気がする

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175 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 00:06:58 0
宗教や風俗的なもの、兵糧攻め、飢餓などの極限状態を除き
食料として人肉を常食していた民族や国家の例はあるのですか?


176 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 00:22:00 0
>風俗的なもの、
これに宗教以外の通常の状態が含まれないか?


177 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 00:25:23 0
食料として常食するためには食用人間の飼育が必要。
貴重な労働力である人間を、食べるためだけに育てるのはコストがかかる。
アステカみたいに敵対勢力を生贄用に維持しておけば、
定期的な摂取は可能。
しかし、牛ですら労働力として貴重であり、農民が常食するのは不可能で
あったことを考えれば、人が主食の文明なんて出来る訳もない。


179 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 03:11:41 0
>>177
250年以上前、すでに食用人間の繁殖を提案していた作家が存在した。
名はジョナサン・スウィフト、かの人である。

「アイルランドにおける貧民の子が、その両親ならびに国家にとっての重荷になることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」訳文
http://www.e-freetext.net/mdstj.html
 

180 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 03:31:06 0
ガリバーの作者ってリアルで頭おかしかったんだな。


181 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 03:33:18 0
>180
アイルランド問題に対する皮肉


182 :世界@名無史さん :2005/11/01(火) 04:11:00 O
>>181の言う通りで、イギリスの対アイルランド政策への

怒りが内に込められた皮肉。

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222 :世界@名無史さん :2006/01/11(水) 00:39:23 0
ドナー隊事件は、アメリカ西部開拓史に名高い凄惨な悲劇です。

19世紀なかば、米国西部開拓が本格化した時代、イリノイ州のジョージ・ドナーは
八十人あまりの開拓農民キャラバンを引き連れ、西部へと向かいました。しかし五月出発では遅すぎたのです。
大平原を越え、ユタの砂漠を抜け、最後の難関シェラ・ネバダ山脈に達したときは十一月。
すでに峠道は身長をこす積雪、山越えなどままなりません。その地での越冬を決め、
丸太小屋を建て、牛馬を食料としました。しかし飢餓の恐れは現実となり 元気の良い者が十人、
山越えして助けを呼びにでたものの、道を失ってしまう。結局半月あまり雪の山中を彷徨、
餓死凍死した仲間の肉を喰った五人が山むこうのサクラメントシティに助けを求めました。
救助隊はキャラバンのうち幾人かを保護したものの、その一行も吹雪に襲われて食料を失いまた人肉にはしる・・・。
結局翌年春に全員救出されるまでに一行八十人のうち、四十人以上が餓死凍死または殺害され、喰われました。
で、生き残りの一人であるルイス・ケスバーグは、こう語っています。
「牛馬の肉はパサついて口に合わない。それより人肉が旨い。脳味噌なんかスープ
にするともう最高なんだ。」
後に彼はステーキハウスを開店します。その宣伝文句に曰く、
「最高の、一番良い肉しか売りません」


225 :匿名希望 :2006/01/11(水) 12:54:21 0
食料がないのに人が多い世界は漫画ぐらいです。
動物は人間は人間より成長や繁殖力が優れいるし、人間が食べないような物
でも食べていく。
北斗の拳の人々の食料や衣服や武器はどこから手にいれていたのか。
ドナー事件の親子2人で眠るといった次の日に子が死んでいて親は嬉々として
子の解体を始めた話や、最後の3人を助けに救助隊が行くと動物の保存食は
手をつけずに夫婦が食料となっていた(夫の看病のために残った妻は元気
だったのなぜか死んでいた)などは怖いですね。
になっていた

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269 :世界@名無史さん :2006/04/05(水) 00:52:10 0
中国北宋王朝末期の「靖康の変」の際、長江以北の地方は大飢饉に見舞われ、
一斗の米が数万銭もしたが、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で
買えたという。
明王朝の万歴年間(1617ごろ)、山東省では人肉市場が開かれた。
清王朝の同治年間(1864ごろ)、飢饉で人が食い合った結果、一斤30文
だった人肉は値上がりして120文にまで跳ね上がった。
同時期、江蘇省では80文で買えた。

清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、
場内が飢餓に見舞われた際、清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。
ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、莫という婦人が老婆の
命乞いをした。将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。
李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには
「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。かわりに
私を食べて下さい。」
兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。
またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。
県令は許さなかったが、例の将軍は「城内に入れろ!いざというときは我々の
十日分の食糧となる。」と、彼らを城内に避難させた。
城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。
戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。
訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。
「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。彼らには墓がありませぬ
もうじき寒水節だというのにあなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば
良いのでありましょうか」
さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。

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286 :世界@名無史さん :2006/04/07(金) 21:44:40 0
ポリネシアの人食い人種の詳言に基づく、人種別の旨味の差。

ポリネシア人>黒人>>>>東洋人>>>>>>白人

白人は、塩辛くて不味いそうな。
煙草を良く吸う人間だと、焦げ臭くなってさらに不味いw


292 :世界@名無史さん :2006/04/11(火) 11:19:15 0
>>286
ポリネシアで食人って聞いたことないが。
メラネシアの間違いじゃないの?


301 :世界@名無史さん :2006/04/19(水) 01:58:02 0
>>292
ポリネシアは食人で有名。
ニュージーランド、イースター、ハワイ・・・
王様に歓待された探検家が美女数名から一人を選ばせられ、楽しみにしてたが朝になっても現れず、
その事を王様に告げたところ、
「あなたは昨日あんなに喜んで食べていたではないか?」
と言われたという話があったのも確かポリネシアのどこか。


306 :世界@名無史さん :2006/04/22(土) 03:30:12 0
>301
フィジーのことわざに「仲の良い友達二人で森に行っても帰ってくるのは一人」と言う
のがある。

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311 :世界@名無史さん :2006/05/02(火) 19:11:38 O
中国の唐末、黄巣の乱が起きた
戦乱により農民は流民化し農地は荒れ果てた
米価は平時の2500倍にも跳ね上がった
黄巣軍は軍糧が手に入らないため、人肉を塩漬けにして軍糧とした
これを塩尸(えんし)という
黄巣軍は塩尸をときには官軍にも売り捌いた
肥瘠(ひせき)によって価を決め、一人の値は数百貫にものぼった

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323 :世界@名無史さん :2006/05/19(金) 23:56:39 0
アメリカのアルバート・フィッシュさんはすげえ。
わざわざ数年後に感想文を食べた相手の家族に送ってる。
写真では優しそうな爺さんなのに。


325 :世界@名無史さん :2006/05/20(土) 03:51:20 0
>>323
おたくのお嬢さんは柔らかかったとか
シチューでとろ火にして食ったとか
でも性的なことは一切してないから安心していいよとか
そんなんだっけ?


326 :世界@名無史さん :2006/05/21(日) 15:20:37 0
>325
そんな感じだった。
ググるとだいたい顔写真と骨盤のレントゲン写真が出てくるw


327 :世界@名無史さん :2006/05/21(日) 19:20:53 0
アルバート・フィッシュは猟奇殺人マニアにとっては
教科書的存在だからな。
別名「殺人狂のサンタクロース」「変態のデパート」


328 :世界@名無史さん :2006/05/23(火) 21:47:09 0
ロシアのアンドレイ・チカチーロも負けちゃあいませんぜ。
拉致した子供たち(男女問わず)の耳やら鼻やらを生きたまま食いちぎってじわじわとなぶり殺し。
曰く「子宮は梨の味」
裁判の時は鉄製の小さな独房に入れられ、遺族が「子供を返せ!」と言ったのに対し、「もう喰っち
まったよ」と答えたそうな・・・


329 :世界@名無史さん :2006/05/24(水) 22:02:43 0
>328
http://members.ytv.home.ne.jp/yk75.corkscrew/sevens1.html#3
チカチーロはスターリンの飢餓政策の犠牲者でもあるからな。
幼い頃兄が食われたと聞いて育ったそうだ(兄の戸籍がなく存在は疑問視されているが)
巡り巡ってロシアに一矢報いたというべきか。

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338 :世界@名無史さん :2006/06/14(水) 21:25:20 0
宋の時代。
かの蘇東坡は、杭州の町の裁判官として、民衆の尊崇を集めておりました。
民衆はこぞって彼にあやかり、料理屋という料理屋がメニューに彼が発明したという豚の煮付け、
東坡肉を載せておりました。
さてその町へ、蘇東坡の政敵が身分をやつしてやってまいりました。何とかして彼のアラを探し出し、
陥れようと企んでいたのです。彼が近くの飯屋に入ると、メニューに「東坡肉」の文字が。
早速注文して食ってみればなかなか美味い。給仕に聞けば、この店の名物。何処の店でもこの料理が人気だと。
あるアイデアがひらめいた政敵は、杭州中の料理屋のメニューというメニューを集めて都に戻り、奏上することには。
「蘇東坡めの悪辣きわまりない統治により、杭州の民は塗炭の苦しみでありまする。
蘇東坡を呪う声は城内に満ち、豚の肉を東坡の肉と呼び、喰らって恨みを晴らすありさま。」
驚いた帝が証拠資料として出されたありったけのメニューに目を通せば、どれにも「東坡肉」の文字が・・・

暗君だった帝はすっかり丸め込まれ、あわれ蘇東坡は海南島に流罪にされてしまったのであります。

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432 :世界@名無史さん :2006/11/08(水) 18:37:02 0
ジョージア州ワシントンでは、黒人が出世すると地元で彼の栄誉を讃えるのが慣例になっている。
貧乏だった男が金持ちになって帰って来ると、アフロ・アメリカンの上流階級の一員として盛大な宴
でもって迎え入れるのだ。
仕出し屋のリジー・ヒューズ夫人はその宴の注文を受けた。
 宴の食事は素晴らしかった。出された唯一の肉は極めて白く、脂肪が少なくて身が締まっている。
子牛のような味がした。会食者たちはヒューズ夫人に礼を云い、何の肉だか訊ねた。
横から夫人の幼い娘が口を出した。
「お姉さんよ」。
 幼い娘はその日の午後、母親が姉を殺して解体し、調理する一部始終を見ていたのだ。
医者は食べ尽くされた骨が人間のものであることを確認した。警察が現場に到着したことで、ヒューズ夫人はリンチに遭うことを免れた。

 その後、ヒューズ夫人がどうなったのかは記載されていない。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/hughes.html

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442 :世界@名無史さん :2006/11/15(水) 03:49:14 0
明の末期の崇禎15(1642)年四月、かつて北宋の都として栄えた開封の街が、李自成率いる
反乱軍に包囲された、以後城内の百万もの人間は、貴賎問わず飢餓地獄に叩き落されていくのである。

包囲されて数ヶ月のちの八月下旬にはついに穀物の備蓄が尽き、人々はドブの糸ミミズを掬い上げ、
葱とともに炒めて食った。味は魚に似ていたという。一斤800銭で売られ、のちには三千銭に高騰した。
屋根の上のれんげ草も食料として売られ、最初200銭、後に1100銭。溝の水草も食った。
肥やし用の人糞に湧いた蛆も食い、それが尽きると粘土や馬糞を炒め、無理やり水で飲み下した。
これらが尽きるとついに人間に手を出す。大人数で哀れな一人を追い込んで捕まえて喰らう。
敵の捕虜を切り刻んで城壁からばら撒くと、兵士も民も競って肉片を拾った。
九月はじめになると、身内同士でも喰らいあった。父は子を、夫は妻を、兄は弟を喰らう畜生道。
金持ちは守備兵に財産をすべて没収された挙句、皆殺しにされていた。このころには人肉以外の食料は
完全に尽き、肉をそぎ落とされた白骨が城内に散乱している。ボロをまとい垢まみれ、幽鬼の如く瘠せた
生き残りが、白骨を打ち割り、骨髄までもすすって生きながらえていた。

9月18日、ついに開封の街は陥落した。かつての人口は100万人。戦が始まると新たに城外から2万人逃げ込んできて、
やがて城壁の内部のほとんどが餓死戦死、そして食われた。生きて城外に出られたのは1万人のみだった。
街の中心には明王室の宗室の宮殿があり、兵士や女官が1万人いたが、このうち生き残れたのは200人のみだった。

数ヶ月の篭城戦で、100万人が死に絶えたのである。

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533 :世界@名無史さん :2007/11/25(日) 19:59:34 0
17世紀フランスでは、村が焼かれ多くの若い女達が陵辱の末に
串刺しにされ、とろ火で炙られ食されたという記録も残っているらしい。

第二次大戦中もニュー・ブランデンブルグのキャンプでロシア人やポーランド人の捕虜は
よく仲間の人肉を食べていたという

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あとがき
俺は肉は赤身が好きっていうか、脂身が苦手。
味とか食感は嫌いじゃないんだけど、
下痢するのね。
霜降りとかは分離できないから逃げ場がない。

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この記事へのコメント

 

ヤオビクニだったか、人魚の肉を食べると不老不死になる
ってのも食人につながるものがあるのかな

  • 2008年05月22日 11:46
  • あめふらし #-
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