週刊弐式(ry

今年はみんなに明るいことがあればいいな

logs

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続き

昨日の続き

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308 :山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 12:07
文政2年に書かれた「国郡志御用書上帖」に拠れば、芸州の野呂山には様々
な化け物が出ると言われていた。これはそのうちの一つ。
「当村和七と申者」今六十才ばかりなるも十八才の時、八月上旬七つ時この
山へ登ったところ「よいよい、と声をかける者有之」。「おい」と答えてふ
と向うを見ると十二、三才ばかりの「小童、天窓(あたま)に毛あり、惣身
の色赤くぼろを着たるごとく見えて、人にあらず」というものこれあり。
冷水を浴びせかけられたかのようにゾッとしてしばしその場に立ち竦んだが
「追々迫り来る故」恐ろしくなり、振り返りもせず逃げ帰った。

また「和七の弟新平と申者」二十七才の時十一月二十九日夕七つ時、
「この山へ参居候処」急に足腰が立たなくなり、出くわした者が驚い
て家までかついで運んでやったという事があった。
家人が介抱を続けたところ夜中になってようやく気付いたが「やれ恐
ろしや、やれ恐ろしや」と身を震わせるばかり。そうなった訳は一言
も言わなかった。
そのまま「右の方半身しびれ働ならざる故」医者じゃ薬じゃとあれこ
れ手を回したが、ついに治らず「翌年六月十日相果申候」。
病の間介抱の者らはあの時なにがあったのかと度々訳を訪ねていたが
「その節の事一切物語せず。」きっと口止めされているのであろうと
皆諦めていたが死の直前になって「山で小坊主に会うて恐ろしかった。
みんなもう山には行くな。」と言い置いて間も無く死んだ。それがた
だ一つの遺言であったという。

兄の和七は「わしが見た小坊主を見たな」とハッとした。それにして
も何故右半身が不随になったのか。おそらく血気盛んな新平の事、化
け物に会って懸命に山鎌で切りつけたに違いない。
「わしみたぁに逃げて帰りゃあえかったんじゃ。」和七は今更ながら
恐ろしがりまた口惜しがったが、どうにもならなかった。和七はそれ
以降60を過ぎた当時まで野呂山へは行かなかったという。

「又当村元吉と申者」早朝野呂山へ登ったところ小童を見た。「又長
七郎と申者」形はこれと同じとおぼしきも、小童にあらず背高く大人
のように見えるものを見た。
もしや「狒々」では無いかと村中の評判になった。「狒々は深山に住
む猿の年経たるもののよし」、「赤黒の総身の毛の生えたるさまぼろ
を巻きたるごとく見ゆるも」まさに狒々の正体か、小坊主の「よいよ
い」と言った事は「狒々」のかけ声かと言われたという。

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315 :文鳥ちゃん☆ :02/10/31 21:59
ある国を領する太守の奥向きに仕える者の中に、二人の美少女がいた。
この二人はとても仲がよく、また太守の覚えもめでたかった。
彼女たちは金弥、銀弥と呼び称されており、座するも一緒、床に就くのも一緒であった。
ある日金弥が病に冒され、父母の許に帰された。親元が遠かった故
その間消息はなかったが、二月ばかりのちにふたたび太守の元へとふたたび出仕できるようになった。
太守はもとより、銀弥もこれをたいへん喜んだ。
ある夜更け、金弥が厠にたったまま、なかなか戻ってこないことがあった。
これを心配した銀弥がなにげなく戸の隙間からのそくと、金弥が左右の手に火の玉を
もって、二つ手玉にとるようにしている。その玉の光に照らされた金弥の顔は
この世の者とは思われぬ妖気に満ち溢れていた。
銀弥は落ち着いた性格ゆえ、なにごとも見なかったふりをしていたが、あのような
怪異を目の当たりにした今となっては、心が千々に乱れ、落ち着くひまもなく、
とうとう床に伏すようになってしまった。

金弥はまめまめしく介護をした。が、時折銀弥の耳元で
「あなたの病気のもとは、物思いによるものではないのかしら。
近頃、なにか見たものありませんこと」
などと囁く。
銀弥はこれは、と思い何事もなかったふりをするのだが、
日々病気は重くなっていくばかり。
このうえは父母の元へ帰るにしかずと思い、銀弥は病のことを文にしたためた。
娘の手紙を手にした両親は驚き、娘のもとに医師をおくり、また祈祷師を
呼び、神に祈ってもらうことにした。師は両親に告げた。
「これには物の怪がついている。たいへんあぶないところまできておるが、
本日の夕暮れまで持ちこたえたら助ける法があるかも知れぬ。早々に呼び寄せ、
わたしのそばに置きなされ。」
あわてて太守の屋敷の近くに住む、銀弥のおばにあたる人に事情を話した。
おばは駕籠をよび、太守に親元で養生させたいと申し出、銀弥をひきとることとなったが、
分かれる際に金弥は、実の姉妹さながら、涙をながして銀弥を見送ったのだった。

おばは銀弥に祈祷師のことばをつげた。おばをのせた駕籠と、銀弥をのせた駕籠は
祈祷師の元へと急いだが、時間の余裕がない。道のりを半分すぎたところで、
空も次第に曇り、夕暮れがせまってきた。
そのときに、にわかに銀弥の駕籠のうちから悲鳴がきこえた。
どうしたものかと、たれを引き上げたところ、銀弥はなかであおむけに反り返り、
その顔面の皮がむきとられており、目鼻のわきまえもなくなって息絶えていたのである。
両親はすぐにこの一件を太守に訴え出て、太守側もこれは不思議と金弥をたずね探したが
どこにも姿は見えない。金弥の親元に問わしめたら、
「先来、病にて家にかえりましてから、二月ばかりしてから死にました。
その後、お屋敷にもぼったことはございません。」
との答えが返ってきのだった。

(「反古のうらがき/鈴木桃野」天保?年)

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336 :好爺 :02/11/03 01:10
江戸時代中期頃、善右衛門はある武家から「五張の幕が欲しい」と注文をうけ、
吉田の町を探したものの三張しか集まらず、やむなく名古屋まで足をのばすことにした。
途中で日暮れとなったが、空には月がかかっていたので知り合いの宿で少し休みしただけで、
馬を仕立ててもらって名古屋に向った。馬子が知っているという近道を急いで進んでいると、
烏頭村という寂しい所にさしかかった。突如として激しい旋風が吹きつけてきた。
善右衛門は思わず頭を抱えて地面にひれ伏した。馬子も同じ様にしている。
息が出来ないほど苦しく、気が遠くなった。
まもなく、何者かが近づく物音がして、善右衛門はふと顔をあげた。少し先の林ほうから
仁王のような大入道が歩いてくるのが見えた。大入道は強い旋風の中びくともせず
坊主頭で身の丈は一丈三、四尺(約4m)ほどもあり、目が鏡のように輝き吸い込まれそうに
怖い。善右衛門は怯えて地面にしがみつき震えていた。まもなく大入道は地響きを立てながら
去っていった。

善右衛門は不審に思いながらもともかく名古屋へ向い、2張の幕を買い、宿に泊まった。
ところが、気分が悪くなり食事も喉を通らない。体が熱っぽく、頭痛もひどくなったので、
宿に医者を呼んでもらった。医者は「流行病のようじゃ。薬を飲んでゆっくり休むが良い。」
といい、帰った。だが、薬を飲んでもさっぱり良くならず、翌日駕籠をやとって、
吉田の自宅へ帰った。それから医者に治療してもらったり、薬を飲んだりしたが、
いっこうに効き目はなかった。
こうして、13日目に善右衛門は遂に帰らぬ人となった。
あまりの不思議さに人々は「善右衛門が出会った怪物というのは、疫病神だった
のではないか。」と噂しあった。

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341 :好爺 :02/11/03 22:40
清和天皇の頃の話
ある朝のこと、役人の一人が朝廷に出勤するとすでに上官の車があった。
上官より後に出勤するのはまずいと思い、急いで役所に駆け込んだ。
しかし、部屋を覗いてみると、明かりは消えているし、人の居る気配もなかった。
不思議に思い、下男に聞いたところ「すでに東の庁にお入りになりました。」と言った。
彼は、慌てて下役を呼んで灯りをつけさせた。中の様子がはっきり見えるようになると
彼は驚いた。なんと、上役の座る場所が真っ赤に血まみれになっていた。そればかりか
髪の毛のついた頭皮があちこちに散らばっている。上官の筆跡で今日の執務の順序など
を記した扇があったから、上官が先に出勤して仕事に取り掛かろうとしていたのは
まちがいない、と思われた。やがて夜が明け人々が集まってくると大騒ぎになった。
いろいろ調べた挙句「夜明け前に出勤した上官が人気のないところで鬼に食われたのだ。」
という結論になった。

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342 :好爺 :02/11/04 20:31
讃岐の満濃池の主である竜があるとき、小さな蛇に化け、池の土手で昼寝をしていた。
ところが比良山の天狗が鳶の姿をして舞い降りるとその蛇を嘴でひっさらった。
天狗は飛びながら蛇を食べようとしたが、その正体は竜だから硬くて食べる事ができな
かった。やがて比良山に戻ると、天狗はその蛇を岩山に閉じ込めると再び餌を探しに
飛んでいった。
一方残された竜は水がないため術が使えず蛇の姿のまま苦しんでいた。
天狗は比叡山に飛ぶと、ある僧が便所から出てきて柄杓で水を汲んでいる処を襲い、
僧を足で捉えて飛び上がった。天狗はこの僧も岩穴に閉じ込めた。
しかし、竜にとってはこれが幸運だった。僧が手にしている柄杓に水が残っていたからだ。
蛇になっていた竜は僧に頼み、その水を頭にかけてもらった。
すると蛇はたちまち力を取り戻し、竜になった。竜は岩穴を破って脱出すると、
雲を起こして僧とともに飛んでいった。
その後、竜はなんとか復讐しようと、空から京の町を探した。ちょうどその頃、
天狗もまた荒法師に化け、獲物を求めて京の町にいた。竜は天狗を発見すると
すばやく舞い降り、天狗を蹴り殺した。荒法師は正体を現し、翼を折られた
糞鳶(鷹の一種)の姿になっていたという。

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346 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/11/05 17:12
ある冒険家が一枚の古い宝の地図を手に入れた。財産や家を処分して何億もの金をかけていざ出発という数日前、
鑑定を間違っていた事が解り、その地図は現代になってかかれたものだという事が解った。

しかし冒険家はひっこみがつかなかったのか、やけくそになったのか、
その「明らかにニセだと証明された地図」の通り宝を探しに逝った。

果たして、そこには宝があった。地図に書いてあるとおり、古い時代の誰も手をつけた痕跡のない宝が。
神がイタヅラっ気をおこして、そのニセ地図を書いた者の指に何か働きかけたのか、
はたまた単なる偶然なのか・・・
どうにも不思議な事だが真実は一つ。

そこに宝があった。





これ、実話らしいよ。

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375 :好爺 :02/11/08 16:41
熊本藩には剣術師範を務めていた松山主水と云う男がいた。
彼の身軽さは常人を超えており、奇怪な術を使うといわれていた。
あるとき、主君の細川忠利から「これまで見たこともない怪しい術を見せよ。」と言われ
主水は奇怪な術を披露した。 突如として足元の畳が一枚何の物音も立てずに宙へ浮上り、
その中に主水が吸い込まれるように消えたのである。やがて、畳は次々に宙に舞い始めた。
主水はその中を自由自在に潜り抜けていった。忠利をはじめ居並ぶ人々はあまりの
不思議さに、ただ唖然と息を呑むばかりだった。人々がはっと気づいた時、主水は
すでに向うの廊下に立っていたのである。

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379 :好爺 :02/11/09 17:34
18世紀フランスに“デオンの騎士”と呼ばれるスパイがいた。
伝説によるとデオンの騎士は生まれながらの両性具有者で、女には男として
男には女として巧みにとりいって、ヨーロッパ社交界を征服し、次々と重要機密を
盗み取った、国際スパイである。
本名はシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・ド・ボーモン
で1728年ブルゴーニュ地方のトルネードで生まれ、父はそこの市長で、国王の子門でもある
下級貴族であった。彼は大学で法律の博士号をとった後は、パリ財務局経理部の
秘書を務めた。その一方でパリ社交界に出入して、当代の有名芸術家や詩人と交流を
結び、自分でも詩を作ったりした。
国王ルイ15世がある舞踏会でデオンをみかけ夢中になり、彼の美貌と女装癖を利用して
秘密の外交任務に当たらせた。
ロシアに女装して宮殿に入り込み女王エリザベータとの間にフランスとロシアの
同盟条約に調印させた。が、プロセインから嫁いだエカテリーナがエリザベータの
あとを継ぐとフランスとの条約を破棄した。

ロシアとの接近を諦めたルイ15世は次にイギリスとの和解工作に乗り出し、
そこにデオンは大使秘書の名目で入り、そこでも目覚しい活躍をとげ
「王の夜会」の常連となり、この夜会にもしばしば女装して現れ、
人々を驚かせては喜んだという。
ルイ15世は彼の仕事振りに喜び、彼に騎士の称号と6000ポンドの報奨金を与えた。
しかし、デオンの浪費ぶりに次第に国王や政府は負担を感じるようになり
彼を首にした。重要書類を彼から奪い取ろうとさまざまな策を弄したが、
うまくいかず、フランス国内の彼の全財産を没収した。
そのことに怒ったデオンは持っていた重要書類の一部を一種の暴露本として刊行した。
それは、パリやロンドンなどの各都市で売れまくったという。

ルイ15世が死去し、ルイ16世が王位につくと機密文書と引き換えに
年金1万2千ポンドという条件でフランス国内に戻る事を許された。
しかしそれにはもう一つ条件が付け加えられており、今後死ぬまで女装を
続けることだった。彼がフランスへ帰るとまさにスター扱いで、マリー・
アントワネットからもドレスを送られたりした。
フランス国内では彼の性別に対しての賭けすら行なわれた。
また、彼はフェンシングの名手でもあり、スカートをまくってフェンシングの
試合をした。しかし、1796年の剣の試合で相手から左胸を突かれて、お乳の
あたりが腫上がり、デオンのバストは女性のように膨らんでいると噂された。
デオンはフェンシングの傷がもとで1810年83歳でなくなった。
遺体は解剖されその書類には「肉体は異常な丸みを示す。髭の伸び具合は微弱。
顎部は男性のそれとははなはだ遠い。胸部著しくふくらみ、腕、手、指は女性の
それである。男性性器は正常に発達している」と記されている。

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382 :好爺 :02/11/10 22:25
享和3年(1803年)常陸の国の沖合いに不思議な形の船のようなものが漂っているのが見えた。
浜の人々は不審に思いながら多くの船を出し、船のようなものを浜辺に引き寄せた。
よく見たところ、その船は丸く、直径は3間(約5.4m)で上部はガラス張りで、継目は
松脂のようなもので塗り固められて、底部も丸く、鉄板を筋のように張ってあった。
人々はガラス張りの上部から内部を覗いたところ、異様な身なりをした女が一人だけ乗っていた。
女の顔は桃色をしており眉と髪の毛は赤く、長く背にたれている髪は白い入髪のようであった。
言葉は通じなかった。この女は2尺(約60㎝)四方の箱を抱えていたが、よほど大切な
のもなのか、ひと時も手から離さず人も近づけなかった。船の中を調べてみると、
敷物が2枚、瓶に入った2升ほどのほか、菓子のようなもの、肉の練物らしい食物があった。
浜の者たちが集まって、しきりに詮議したがその女性はのどかに微笑を浮かべながら
眺めているばかりであった。浜の人々は議論を重ねたが、この船を役人に訴えると
面倒な事になりかねないので、女をもとの船に乗せ、沖へ出して海へ流してしまった。

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385 :好爺 :02/11/12 01:01
寛政年間の頃、江戸の天守番頭の春日半十郎は自分の屋敷でいつものように飯を食おうとした。
半十郎が膳の前に座り、箸を手にすると不意にその膳が宙に浮き上へ昇っていき
ついに天井まであがってしまった。半十郎は呆気にとられたが、やがて恐怖がつのり
人を呼んだが恐怖のあまり声が出なかったのか誰もこなかった。
立ち上がろうとしたが腰が抜けて思うようにならず、すくみあがったまま天井まで
浮上った膳を見つめていたが、暫くすると膳はゆっくりと下へ降りてきて、静かに
もとの場所に元の場所に落ち着いた。半十郎は恐る恐る膳を覗いたが運ばれた時と
同じ様に料理が並んでいた。誰かの悪戯かと思ったが部屋には誰もいなかったいし、
膳にも何の細工もしてなかった。それから半十郎の屋敷では家の中の道具が勝手に
飛び回るようになった。数人の男がやっと持ち上げられる大きな石臼も、誰も
いないのに浮上り、道路に飛んで行った事もあった。
半十郎は怪事に悩んだが、ある老人が訪れて「この怪事は目黒の人を雇ったから
起こったのだ。」と告げた。半十郎は半信半疑だったものの、とりあえず数名の
者に暇を出した。すると、怪事はぴたりとやんだ。
なぜ、目黒の人なのか理由はわからなかったという。


387 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/11/12 08:30
>385
池袋の女って話もありますよね.当時の目黒とか池袋って,
今だと,宇都宮とか水戸のイメージなのかなぁ.

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388 :好爺 :02/11/12 23:41
享和元年の6月1日に漁師たちが水戸浦で漁をしていたところ、海中から赤ん坊の泣き声が
聞こえてきたので怪しみながら船をとめ、そのあたりに網をおろしてみた。
すると、再び泣き声が聞こえてくる。漁師たちが刺網を引きまわしたところ、その中に
十四、五匹がかかったので、引き揚げた。これがなんと河童であった。河童は網のなかを
逃げ回る。漁師たちが棒や櫂で打ち据えたものの、体がぬるぬるしているせいか、
棒や櫂が滑ってまるで効果がなかった。そのうちの一匹が船の中に飛び込んできたので
船の覆いにつかうむしろをかぶせ、打ち殺した。その間河童は赤ん坊のような泣き声を
あげ続けていた。河童は死に際に放屁したが、それは耐えがたい悪臭で、それを嗅いだ
何人かの漁師は病気になったという。

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393 :好爺 :02/11/13 22:52
染殿の后は美貌だったもののどうしたわけか、幼少の頃から物の怪に憑かれやすかった。
ある時、天皇は日ごとに衰弱していく后を心配して、金剛山に住む聖人を招き、
彼女への加持を頼んだ。聖人は「后の侍女に老狐が憑いている為の物の怪の患いである」
といい、侍女に憑いた老狐を追い出して、后の病を治した。お礼として聖人をしばらく
滞在させ、歓待した。聖人は屋敷にとどまり、のんびりとすごしていたが、ある日、突然
后に恋慕してしまった。聖人は暫くは自制していたものの、やがて欲望に負けて、
女官たちがいないのをみはからって、后の寝室へ忍び込み、后に襲いかかった。
后は驚き抵抗した。女官たちはその物音に気づき、大声で騒ぎ立てた。

それを聞いた侍医はすぐに駆けつけると聖人を引きずり出し、縛り上げて、
獄へ入れた。しかし、聖人の后への恋慕は執拗で、「私は死んでも鬼となり、
后と睦ぶ」といい続けた。獄司がそのことを后の父である大臣に伝えたところ
大臣は気味悪くなって聖人を放免した。聖人は金剛山へ帰ると「わたしは
心から願ったように、鬼になるのだ」といって、断食をつづけてついに死んで
しまった。まもなく聖人はその願い通りに鬼となり、后のいる几帳のそばに現れた。
その鬼の姿は、身の丈は八尺(約2.4m)、裸ではあるが肌は漆を塗ったように
黒く、目は鋭く、口は広く開いて、剣のような歯が生えていた。赤い褌をして
腰には槌を差していた。鬼は后の正気を失わせ、狂わせた。このため后は鬼を
御帳の中に誘い入れ、あられもなく鬼とともに、褥に身を横たえた。
その後も鬼は毎日のように現われ、后は親しく迎え入れた。そればかりか、
鬼が人に憑いたので、侍医とその息子達も狂って死んだ。天皇と后の父の大臣は
恐れおののき、高僧たちに鬼降伏の祈祷をさせた。すると、鬼は3ヶ月ほど
姿を見せず、后の気分も良くなった。天皇もそれを聞いて安堵し、久しぶりに
后のいる染殿へ出かけた。后は以前のように元気そうに見える。
ところが、暫く話をしているうちに突然、片隅から鬼が姿を現し、勝手に御帳
のなかに入っていった。それを見て天皇は「なんとあさましいことだ」と
嘆いたが、后はまったく意に介する様子もなく鬼のあとにつづいた。
まわりには多くの人々が見ているにもかかわらず、后と鬼は誰には
ばかることなく睦つづけた。天皇はなすすべもなく、嘆きながら帰っていった。

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405 :好爺 :02/11/16 01:18
北条高時が酒を飲んで酔っぱらい、一人で田楽を舞っていた。
すると、十数人の田楽法師がどこからともなく忽然と座敷に現われて舞い、歌い始めた。
暫くして妙な歌声になったのでよく聞くとこう歌っていた。
「天王寺のや、ようれいぼしを身ばや」
ある侍女がその騒ぎを聞きつけて、あまりの面白さにそっと障子の隙から見てみると
田楽法師と見える者は一人もいない。その代わりに、異形の天狗達がいた。
高時はそれと知らず、天狗に囲まれて楽しそうに舞い、歌っていた。
侍女はあまりに不気味なので、使いを出して高時の家来達に知らせた。
家来達が太刀をとり、急いで座敷に駆けつけてみると、怪しいものはどこかに
姿を消してしまっていた。灯りをかかげて見回すと、確かに天狗達が集まって
いたと見えて、畳の上に鳥とも獣ともつかない足跡がついていた。

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406 :好爺 :02/11/16 23:18
徳川家康は70歳を過ぎても常に若い側室をそばに呼んで寝ていたと言う。
その側室の中でも特にお気に入りだったのが家康より56歳も年下の美貌の少女・お六で
あった。彼女が13歳の時に出遭ったといわれる家康はまるで孫のような彼女を溺愛し
大阪冬の陣真で連れていた。家康の死後全ての側室は頭を丸めて尼になったが、お六だけは
尼にならずに、足利家に嫁入りした。その後、そこも飛び出すと自由な暮らしを送るように
なった。そして、家康の死から数年後、お六は日光東照宮に参拝し、家康の位牌の前で
焼香をした。すると、仏前にあった香炉が突然はじけて、その破片がお六の額にあたり、
彼女はその傷がもとで亡くなってしまった。人々は「東照大権現が嫉妬した」
「家康の祟りだ」と噂しあった。


408 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/11/17 00:41
>406
どう考えても家康が悪い.

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410 :好爺 :02/11/17 21:50
京に住むある男が美濃か尾張へ行こうとして、夜更けに家を出た。
まだ京の町を歩いている時ある四辻で、青い衣を着た女官にであった。
彼女には供の者がおらず、一人で立っている。男はこんな夜中に身分の高い女性が
一人でいるわけがない。物の怪かもしれないと早く通りすぎようとした。
するとその女官が「このあたりに、民部大夫の家があるはずなのですが、知りませんか」
と聞いてきた。男はその家を知っていたものの、教えてよいかどうか迷ったものの
彼女があまりに思いつめた感じだったので、しぶしぶながらその女官をその家へ
案内してやった。彼女は喜び、自分の住んでいる所を告げると、門前で急に姿を
消してしまった。男は、不審に思いながらも立ち去ろうとしたが、突然家の中から
泣き騒ぐような声が聞こえてきた。暫く家の様子をうかがっていたが、後は静かに
なって、何が起こったのかわからない。明け方になるのを待ってその家の者に
事情を尋ねた。

そのものの話によると近江の国にいる女房が大夫に捨てられた事を恨み
生霊になって取り憑いて二、三日患っていたのだが、この明け方急に亡くなった
と言うのである。しかも、大夫は息を引き取る時「生霊がいる」と叫んで
亡くなったと言うのだ。男はその話を聞くと出発を遅らせて、三日ほど家で
休んでから出かけた。途中、夜更けに出遭った女性の言い残した近江の住まいを
訪ねてみた。女主人は男を歓迎して御簾越しに対面すると
「この間の夜はありがとうございました。あの折の恩は、絶対に忘れません」
といい、絹布などを送ったという。

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415 :好爺 :02/11/19 01:18
伊予宇和島の伊達秀宗の家臣・松根新八郎弘親が宿直番に当たっていた時に、城中の
詰め所で同じ宿直番の者と四方山話に花を咲かせていた。そんな時ふと外で怪しい
物音がした。宿直の者一同で外に出ると何処から入ってきたのか見知らぬ男が立っていた。
男は顔面蒼白で着ているものはあちこち破れ、しかも手には血がしたたる生首を下げていた。
男は消え入るような声でこう言った。「この首どうぞ預かっていただけないか」
宿直の者達は一様に尻込みして、宿直部屋に逃げ込む者さえいた。
その中で一歩前へ出たのが松根新八郎弘親だった。「わしが預かろう」
男は何度となく頭を下げ、くどいぐらいに礼を言うと何処へともなく姿を消した。
その夜、弘親の夢枕に現われ「実は、あの生首は私の仇なのです。私はあの男に
命を奪われたが、なんとしても仇を討ちたく、魂はこの世に止まってあの男を
つけねらい、遂に今夜長年の思いを遂げたが、仇を討ったとたん、無常感に
襲われました。私はこれで思い残すことなく成仏できるでしょう。でも、あの男は
きっと私と同じ様に無念をはらすまでは成仏できないでしょう。しかし、男の仇で
ある私は冥界に旅立つのです。どうか、あの生首をねんごろに弔ってくださりませぬか。
お礼に、貴公の家の隆盛は固くお約束申し上げる」
幽霊と約束したとおりに弘親はこの生首を手厚く葬り、さらに幽霊との言葉を信条と
する証拠に、生首をの図を家の旗印とした。
その後松根家は、隆盛をつづけ、弘親の代では侍頭、その子の代には城代奉行にまで
上り詰めたという。

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417 :好爺 :02/11/19 22:42
室町時代の中頃、筑波山の麓の名主の一人娘でおしのという女性がいた。
一人娘だった為婿をもらった。婿は仕事も良くできれば夫婦仲も良かったが、
姑と仲が悪く、ある日婿は家を飛び出してしまった。この時、おしのは妊娠しており
臨月が迫るに連れて夫への思いはつのり、夫の後をおい家を飛び出した。
ところが途中で道に迷って、寂しい古寺で産気づいた時にその寺に住み着いていた
夜盗に襲われ、身の回りの者を奪われ、殺害されてしまった。
それから、数日たったころ、このあたりの茶屋の戸を深夜に叩く者があった。
店主が不思議に思いながらも戸を開けると白い顔をした女性が立っていて団子を売って
欲しいと懇願した。それが、数日続いたため茶屋の主人が不審に思ってそっと女の
後をつけてみると女は古寺に入っていったが中からは赤子しかいなかった。
元気そうな赤子ではあったがなぜか頭髪は真白であった。
茶屋の主人はこの赤子を保護すると小田の寺に預けて育ててもらった。
この赤子は長じるにつれて、類まれな明晰さを発揮するようになり、
遂には天台宗の高僧となり、頭白上人と名乗るようになった。

頭白上人は全国行脚を終えた後母の供養といって五輪の塔の建立をした。
この塔の建立式のの最中に小田城主・小田左京大夫が鷹狩りで殺生をしてしまい、
式を台無しにした。これを見ていた頭白上人は、「左京大夫はやがて自分の愚かさに
復讐される。我は、次の世では必ず武人に生まれ変わり、小田の城を我が物にしてみせる」
とひそかにつぶやいた。この言葉は側近の耳に焼きつき、周囲の者に言い伝えられた。
その言葉通り戦国時代になると常陸における小田氏の地位は次第に佐竹義宣にとって
変わられた。佐竹義宣自身も「我は名僧・頭白上人の生まれ変わりであり、仏の加護を
得ているため、どれほど無茶をしても怪我もしなければ、死にもしない」と豪語していた。
佐竹義宣が頭白上人の母を祀った五輪の塔の前で祝宴を張り、塔に祝の酒をそそぐと
白い顔の女の姿がふんわりと姿を現し、一瞬慈母さながらのやさしい笑顔を浮かべたという。

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423 :好爺 :02/11/22 01:40
源頼家は朝霧高原(富士の樹海の南)で狩りをしていた時、好奇心から新田四郎に
人穴という洞穴を探索するように命じた。四郎は5人の配下ををつれ、人穴を探索
したが、配下の者は全て亡くなり、四郎もやっとの思いで帰ることができたという。
四郎は人穴の中で地獄と極楽を巡ったといわれる。地獄では、生前の悪行のために
責め苦を与えられている人々を見て、そのあと大菩薩が現われて極楽浄土に導いてくれた。
それは、あまりにも美しい世界だったが、大菩薩は人穴から出る時に四郎に
「この中の事は3年間は他言すべからず。それが出来ぬ時はお前の命はないぞ」と誓わせた。
四郎は、鎌倉の江ノ島弁天の岩屋から地上にもどった。ところが頼家から人穴の様子を
たずねられ、大菩薩との誓いを思い出し苦慮しながらも、とうとうその記録を
頼家に差し出した。その3ヵ月後に四郎は命を落す事になった。

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428 :好爺 :02/11/24 07:27
聖武天皇の母・宮子皇太夫人は、子供を生んですぐ我が子と引き離され精神に異常を
きたしてしまった。だが、学問僧として唐に渡っていた玄が宮子のために祈祷すると
たちどころに長年の気鬱が治り、にこやかかな笑顔さえ取り戻した。
当然、宮子から取り立てられるようになり、玄は宮中で思いのまま振舞うようになった。
この玄の振る舞いを快く思わない者も出てくるようになった。その筆頭が藤原広嗣であった。
広嗣は当時九州の大宰府に左遷させられていたが、都の情報には誰よりも通じており、
宮子と玄の異常接近の噂も早くから耳に入れていたため、「玄を排除しなければ、
朝廷を乱される」と上奉文を都に送ると筑紫で兵を挙げた。しかし武運つたなく、
玄追放の願いがかなわぬまま、死んでいった。しかし、死んでなお呪詛を送り続けた。
飛ぶ鳥を落とす勢いの玄の運勢は広嗣の死を境に次第に落ちていた。
聖武天皇は玄に僧正という最高位を与えていたにもが、急にその上に大僧正という
位を設けると行基という僧を指名した。その上、玄に筑紫の観世音寺の修復という
理由で九州に左遷した。さらに観世音寺の拝殿で供養の読経をしていた玄を突然
何者かが現われ空中から現われると彼を捕えて、そのまま空高く連れ去ってしまった。
その後、八方手を尽くしてさがしたが、何処に行ってしまったのか誰にも解らなかった。
やがて、月日は流れその噂を誰もが口にしなくなった頃、奈良の興福寺に突然、
空から首が落ちてきた。みえば玄の首であった。人々はこれは、広嗣の亡霊の
仕業であると噂しあったという。

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431 :好爺 :02/11/25 23:51
越後国の和野村に百姓で権七という男がいた。ある年の10月頃このあたりはすでに
雪が多く降り積り、寒気も厳しく、家族が囲炉裏をかこみ火にかけた大鍋で雑炊を
炊いていた。ようやく炊き上がり、権七が柄杓をとりあげ、鍋をかき回そうとした時
不意に屋根の上で大きな物音がして、家中がら鳴動しはじめた。地震かと思ったが
少し気配が違う。不安そうに家族で顔を見合わせたとき、天井から多くの手が伸びて
くると、権七の手からすばやく柄杓を奪い、雑炊の大鍋を引き揚げた。家のものは
奇怪な出来事に驚き、転がるように外へ逃げ出した。
すぐさま変事を村人に知らせたが誰もまともに取り合おうとしなかったが、権七の
家の前に集まり、とりあえず家の中を見てみることにした。数人の村人が権七の家に
入ろうとすると、何処からともなく大量の砂利がつぎつぎと飛んできて、大騒ぎに
なり、中には小石に当たって怪我をするものもいた。
やがて半時(1時間)ほどするとまた家が鳴動し、それを境に砂利は飛んでこなくなった。
あたり一面、雪に覆われていたのになんと砂利に埋まってしまった。
村人は怖気づき誰も権七の家に入ろうとはしなかったが、豪胆だといわれる男が
おそるおそる入ってみると、部屋は何事もなかったかのように静かだった。
ただ、不思議な事に雑炊の大鍋が空になっていた。
騒ぎがおさまったので権七と家族は家の中に戻った。その夜は何事もなかったものの
翌日の夜囲炉裏で茶を沸かそうとしたところ、前夜と同じ様に家が鳴動した。
権七たちはすぐさま外へ逃げ出し、騒ぎがおさまるのを待った。
幾日も同じ様な事が起こったので、やむなく権七は別のところへ引越した。
それ以来何も起こらなくなったという。村人達は、「一体、あれはなんだったのか」と
噂しあったが、怪事の謎はついに解かれなかった。

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438 :好爺 :02/11/28 21:50
埼玉県の熊谷に夫婦で細々と営んでいた薬屋があった。ある日、主人が急死し、
残された妻は途方に暮れていた。夫に先立たれた悲しみばかりか、残された家業の
やりくりも考えていた。明けても暮れても心を痛めて、体を休めようと早めに床に
入るのだが中々寝付けない。
夜中に厠に行った時に小用を足していると、何かが股間に触れたような気がする。
いつもなら大騒ぎをするところだが、悩み疲れてぼんやりした頭では、気のせいかも
知れないと思えて、その晩はそのまま寝てしまった。
ところがその翌晩やはり厠で用を足しているとなにかが尻に触ったような気がした。
怖さよりも昨夜の事が間違いではないとわかりこの次は確かめようという気持ちが
むくむくと湧いてきた。その翌晩には小刀を持って厠に向った。厠で用を足すふりを
して様子を窺っていると、下からにゅっと飛び出してきたものがある。そこでつかさず
引き寄せると、もってきた小刀ですっぱりと切落とした。「ぎゃああ~」という悲鳴と
ともに、えたいの知れない何かは逃げ去った。その場には切落とされたものが転がっている、
それは手のように見えるが、人間のそれとは違う。どうやら河童の手のようだ。
厠の悪戯は河童の仕業だった事がわかった。

その翌日、一人の若者が悲しそうな顔で薬屋を訪れた。手土産に大きな鯉を
持参している。話を聞くと「昨日切落とした手を返してほしい」というではないか。
これには妻も驚いたが、持ち前の気の強さを発揮して少しもひるまない。
「はて、お前がこの手の持ち主かどうかは分からない。それを確かめるまでは
返す事は出来ませぬ」と話すと、若者はいっそう肩を落して、私がその本人ですと
詫び、袖をまくると確かに右手の先がなくなっていた。間違いはないようだが、
切り落とした手など役には立たないではないか。いまさら返してもらってどうする
つもりなのかと、妻は気になって尋ねてみると、特別な薬を使って元どうりに
戻せるのでございますと、思いもかけない事をななした。
そのような妙薬は珍しいのでこの場で見せて欲しいと頼むと、若者はその場で
薬をふりかけて手を元どうりにしてみせた。そのうえ、手を返してもらった
御礼ににと、薬の作り方を教えて、その場を去っていったのである。
薬屋の妻は、思わぬことで妙薬の作り方を伝授された。
この薬は『河童の妙薬』として熊谷あたりに広く知れ渡るようになった。

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443 :好爺 :02/11/30 02:56
能登の国に友忠という若侍がいた。能登の領主の畠山義統に仕え、学問にも武芸にも
優れているうえに性質もよく人気者だった。20歳になったある冬、京都の細川政元の
処に使いを仰せつかった。道中猛烈な吹雪に見舞われて、ひとまずどこかで吹雪が
おさまるのをやり過ごしたいと思っていると一軒の小屋が目にとまった。
手入れが行き届いて誰かが住んでいるらしい。小屋のそばには柳が生えていた。
そこには年寄り夫婦が住んでいて、突然舞い込んできた若侍を迷惑がりもせず迎え、
温かい食事と酒をすすめてくれた。おかげで、すっかり冷え切った友忠は元気を
取り戻し、先を急ごうといとまを告げると、泊まって行ったほうがいいとしきりに
すすめる。急ぐ旅ではあったがここで無理をしても仕方がないとありがたく泊まらせて
もらう事にした。すると何処にいたのか美しい娘が現われて酒の酌をしてくれた。
青柳という名前の娘で、ふすまの陰に隠れていたらしい。友忠はたいそう美しく、
身のこなしは上品でしとやかで一目で青柳が好きになってしまった。そのうえ、
酒をすすめられ、いい気分になった時に思いがけなく、娘を嫁にもらってくれないかと
たのまれた。そこで旅の途中ではあるが青柳を京に一緒に連れて行き友忠は
青柳と結ばれた。ところがそんな日が続いたある日、突然の不幸が襲いかかった。
青柳が突然苦しみ始めて倒れたのである。抱きかかえて介抱する友忠に青柳は
「実は、私は柳の精でございますが、たった今、その木が切り倒されてしまいました。
私はもう生きていることは出来ません。どうか念仏を唱えてください」と言うと
青柳の体から力が抜け、まるで溶けるように姿が消えてしまった。
友忠は青柳の死後、仏門に入って全国を行脚してまわった。その途中、越前に寄った時に
ぜひともあの家に行ってみようと思い、探し訪ねてみると、家の前には三本の
柳の木の切り株だけが残っていた。2本は老木で一本は若木だった。

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445 :好爺 :02/12/01 00:55
文化七年(1810年)7月20日の夜、浅草南馬道竹門の近くで青年が不意に空から降ってきた。
男の姿は、足に足袋だけははいていたものの、着物は着ていないし、下帯もつけぬ
真っ裸である。彼は強烈な衝撃をうけたらしく、ぼんやりと佇んでいた。
この異変を目撃した近所の若者は町役人に彼を届けた。医者にみせ介抱して、役人は彼に
事情を聞いた。男は「わたしは京都油小路二条上ル、安井御門跡の家来、伊藤内膳の倅で
安次郎というものだ。ところでここは何というところだ。」
町役人が「江戸の浅草というところだ」と答えると男は驚きしきりに涙を流した。
経緯を詳しく聞くと「今月の18日の朝四つ時(午前10時)頃私は友人の嘉右衛門と
言う者と、家僕の庄兵衛をつれて、愛宕山へ参拝した。ところがものすごく暑い日
だったのでやむなく衣を脱ぎ、涼んでいた。すると一人の老僧がそばにやってきて、
私に『面白いものを見せてやろう。ついてきなさい』といった。興味があったから
老僧についていった。その後のことは全く覚えていない」
手がかりは男の足袋しかないので調べると確かに京都の足袋であった。
ただ、京都から飛んできたとは信じがたかったが草履や履物を履いていたわけでは
ないのに足袋には少しの泥もついてはいないことが不思議だった。


447 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/12/02 02:19
>>445
なんだかメチャメチャ不思議な話ですな。
その男やその僧侶はは何者なのか、何を意味する話なのか…
後日談とか無いんですか?


448 :好爺 :02/12/02 03:12
>>447
後日談としては奉行所につれて事の次第を届け出て、結局どうしようもなく
浅草溜(病気になった犯罪者や15歳以下の犯罪者を入れた獄舎)にお預けとなった。
その後の消息は不明との事です。
滝沢馬琴がまとめた『兎園小説』に実際にあった話として記録されている者です。

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449 :好爺 :02/12/02 03:17
江戸時代の話
火葬場に置いて早桶(棺桶)を火にくべていると中から男が蘇生してきた。
その男は慌ててそこを飛び出すと追ってきた男達を振りきって川に飛び込み
姿をくらましたという。
なぜなら、その時代早桶を火にくべた時点でそのものは人扱いされなくなり
蘇生してきてもまわりに居る男達が撲殺してそのまま燃やしても良い事になって
いた事をしっており、撲殺されはかなわぬと逃げ出した者と思われる。


450 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/12/02 03:58
この話しは本当だと前置きして何かの本に書いてあったけど・・・・。
明治時代の初期、ある殺人事件を起こしたAがいた。そのAは裁判の結果
死刑と判決が決まった。そして死刑(絞首刑)にかけた。しかし彼は3
回執行され3回とも息を吹き返した。そこでその者死刑は完了した。と
して釈放されたそうな。これって本当だったのかな?


452 :好爺 :02/12/02 11:19
イギリスでは、絞首刑台から生還した例が、十数例あるという。
1740年には、処刑後に移送された解剖室で息を吹き返して、直ちに監獄に送り返された例があった。
中には、生き返ったついでに芝居見物をして帰った、という冗談のような例もある。
18世紀には、タイバーンで処刑された男の遺体を買って解剖しようと外科医が安置して
いたものをお手伝いが好奇心から解剖室に見にいったところ、裸の男が酷い形相で睨んで
いたという話が伝わっている。彼は生き返っていたのである。彼女が驚いて逃げ出したのは
言うまでもないが、外科医はこの男を哀れに思い、アメリカに逃がしてやった。
男は新世界で成功を収め、恩人の外科医に財産を残して死んだ。

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453 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/12/03 00:34
 乃木将軍が若き日、戊辰戦争の後始末で金沢に出張したときの話。
将軍の宿に当てられたのは、その頃としては珍しい、木造三階建ての旧家だった。
さぞ見晴らしがよかろうと床を三階にとるようにいったが、その家の老女中はなぜか二階にとる。
布団を上げる骨惜しみをしているのかと、きつく命じたら、しぶしぶ三階にとった。
うとうとすると、若い女の声がして蚊帳の上から将軍の耳に口を寄せる。
驚いて跳ね起きると誰も居ない。またまどろむと同じ女が現れる。
とうとうまんじりともできなかった。その次の晩も同じであった。
三日目の晩になると老女中がしたり顔で
「三階では良くお休みになれないようですから、今晩から二階にしました」と言った。
後に人づてに聞くと、その三階の間では先代の当主が不義を働いた妾を柱にくくりつけて、
干殺したいわくのある間であることを知ったという。

 この話は乃木将軍が初代院長を務めた学習院の講話録に載っている。

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457 :好爺 :02/12/03 11:25
ヨーロッパで猛威をふるった魔女狩りは、北アメリカ大陸にも飛び火し、ニューイングランド
のセイレムで、黒人奴隷が密かにブードゥ教の儀式を幾度となく見せられていた10代の娘たち
がものに取り憑かれたようなしぐさを見せ始めたため、周辺の村に魔女の妖術にかかったと云う
噂が広がった。教師のサムエル・パリスは魔女狩りの先頭にたち、1692年3月に裁判に訴えた。
容疑者は次々に逮捕され、200人近くにふくれ上がり、最初に有罪判決を受けた者のうち
20名が絞首刑にされた。その中のセアラ・グッドは絞首刑台に立ったとき、ニコラス・ノイズ
といういう牧師に自白を勧められた。
「お前は魔女だし、このことを自分でも知っているではないか」
「嘘もいいかげんにしな。あんたが魔法使いでないように、あたしは魔女でも何でもありはしない。
あたしの命を奪ってごらん。神様はきっとあなたに生き血をたっぷり飲ませる事だろうよ」
群れ集まっていた観衆はこの言葉を耳の底にしっかり刻み込んだ。
これから25年後ニコラス・ノイズが臨終の床にあったとき、喉が詰まって口からおびただしい
血があふれ出た。これを聞いたセイレムの人々はセアラ・グッドの祟りだと噂した。

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458 :好爺 :02/12/04 09:31
1386年フランスのノルマンディ地方のファレーズで雄豚が赤子を噛み殺した事件が起きた。
その雄豚を裁判にかけ、死刑の判決を受けさせた。死刑囚となった豚は、鼻を切落とされた
うえ、人間の仮面をかぶせられた。さらに服に合うように前足を多少切落とされ、上着を
着せられた。前足には手袋をはめられ、後足には半ズボンをはかせられた。
そのような姿で絞首台に吊り下げられて絶命した。
当時動物も処刑となる人間と同様に扱われていたから人間と同じ様に恩赦などで
減刑を宣告されることもあった。
16世紀前半スイスに近いフランスのオータン司教区では、穀物を食い荒らす鼠たちが
農民達に告訴された。裁判所は鼠に通告し裁判所に出頭を命じたが鼠たちは公判を
欠席した。欠席裁判で敗訴となったが、鼠側の弁護人はおびただしい鼠では1回の
召集状発令では、全ての鼠に届かない事、裁判所までの遠い道のりの間には猫が
虎視眈々と狙っており、裁判所まで来るには容易ではないと言って裁判所に主張を
認めさせた。

1685年にドイツのニュルンベルグの西にあるアンスバッハ市で市長が死亡した
後に彼が人狼となって家畜を襲い、子女を襲って貪り食った。と言う事件が起きた。
事実はただの狼ではあったが市民はそう思い込んでその狼を殺害し、死体に
人間の皮膚と同様にこしらえたピッタリとした皮を着せ、そのうえに市長が着ていた
のと似た服を着せた。頭には市長の髪型に似たこげ茶色のかつらをかぶせ、
白い口髭をつけ、狼の鼻を削り取って、元市長の特徴をかたどった仮面をかぶせた。
そうしてから裁判所から死刑の判決を仰ぎ、絞首刑に処した。

これらの動物達はこのまま放置しておけば悪魔の介入を許してしまうと考えられて
いたため、処刑された家畜は食用とされずにきちんと埋葬された。

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460 :好爺 :02/12/05 00:04
近江国のある屋敷で若い男達が集まり、世間話に花を咲かせ、飲み食いに興じていた時
安義橋を無事に通った者がいないと言う噂話が話題にあがった。するとある男が
「評判の名馬を貸してもらえてればわけのない事だ」と言った。屋敷の殿様はそれを
聞きつけると名馬を貸してくれた。ところが広言した男はすっかり怖気づき辞退しよう
としたが他の者達は「いまさら見苦しいぞ」と言って実行を迫った。
結局広言した男はその名馬に乗り、出発していった。いよいよ安義橋に近づいてくると
なにやら恐ろしい気配が感じられて、男は身がすくんだ。やがて陽が西の山に
沈みかけてくる。人里離れた場所だけに、心細い事おびただしい。それでも男は、
橋を渡り始めた。橋の中ほどまでくると、前方に何やら物影が見え「鬼ががでたか」と
思ってびくついた。しかし、それは苦しそうにうずくまっている女だった。
若くておだやかな女に見えたが、考えてみると、そのような女がこのような場所に
一人でいるわけがない。男は「やぱっり鬼だ」と思い急いで通りすぎようとした。
ところが女は不意に声をかけてきたのである。

「もしもし、どうしてそんなにつれないのですか。このような寂しい所に
捨てられ、難儀しております。どうか人里まで連れて行ってください」
男はその声を聞くと、恐ろしさがつのり、夢中で馬を走らせた。だが女も
「ああ、情けない」と大声で叫びながら追いかけてくる。男が振り返って
みるとなんとしたことか、その女はいつのまにか鬼に変わっていた。
身の丈は九尺(約2.7m)で体は緑青色である。真っ赤な顔に琥珀のような
大きな目が一つ。手の指は三本、爪は五寸(約15cm)ほど伸び、刀のように
鋭くなっている。一目見るなり身も凍りつくような恐怖が湧いてくる。
男はかろうじて人里へ逃げ込んだが、一つ目の鬼は「いつか必ず命を奪って
やると言って姿を消した。

男は命からがら家へ帰ったもののその後も怪しいことが続いた。陰陽師に尋ねると
この日には物忌みをしなければいけないと教えてくれた。
指示された日に男は門を閉ざして厳重に物忌みをしていたところ、弟が訪ねてきた。
男は門の外にいる弟に物忌みの事を話し「明日になったら対面しよう」といったのだが、
弟は「実は母上がなくなられたのだ」といって開門を迫った。
男はやむなく門を開き、弟を入れて食事をさせた。暫く二人は静かに話をしていたのだが
やがてにわかに取っ組み合いを始めたのである。妻が心配して声をかけると、
弟を組み伏せた男が「早く太刀を取ってくれ」と叫ぶ。妻はためらっていたが
そのうちに弟が男を跳ね除けて上になると、いきなり鋭い歯で男の首を食い千切った。
逃げる時「うれしや」といったが、それは弟ではなく男が安義橋で追いかけられた
一つ目の鬼だった。

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464 :好爺 :02/12/05 10:34
鳥取県の日野郡に黒坂の竜王滝という滝がある。村はずれの滝山神社にある滝で
天狗や妖怪が出るとの噂が絶えず、そのため幽霊滝とも呼ばれていた。
村人達はめったに近づかなかったが、ある日竜王滝で肝試しをしようという話になった。
しかも、本当にいったかどうかをはっきりさせるために滝山神社の賽銭箱を持ってこよう
ではないかとの話までまとまった。ところがいざとなるとみんな怖がって誰一人行こうと
しなかった。そこへ負けん気が強いお勝と云うおんなが名乗り出た。お勝は自分の子供を
背負うとみぞれ混じりの天気のなか竜王滝へと向った。いざ歩き出すと、夜道は真っ暗で
みぞれも冷たく、さすがのお勝も不安になってきた。こんな事をして何になるのかと
自問自答しながら進んでいくと水音が聞こえてきた。どうやら竜王滝の近くまで来たようだ。
ここまできたら、さっさと済ませてしまおうとお勝は最後の勇気を振り絞って、無我夢中
で賽銭箱を抱え、一目散にかけ戻った。気のせいか背後で野太い笑い声が響いていたような
気もしたが一刻も早くその場を離れたくて無我夢中で村へと引き返した。
戻ったお勝は賽銭箱を投げ出し、得意げに頷いてみせた。ところが村人達はまるで
凍りついたように震えて声も出せない。ようやくひとりが声をあげた。
「お前、その背中の子はどうした」お勝が慌てて背中の子を見てみると、
首から上が食い千切られていたと言う。

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467 :好爺 :02/12/06 08:48
織田信長の死後織田家の重臣は三男である信孝を跡目として押したが豊臣秀吉は
信長の長男・信忠の子三法師が織田家の後継者として強く押した。
また秀吉は信長の次男信雄の後見として天下人の座を虎視眈々と狙っていた。
信孝は柴田勝家・滝川一益等と秀吉・信雄の撃退の計画を練り始めたが、
どうした事かこれがもれ、信孝の居城を取り囲みその退路を断つと伊勢の一益を落し、
勝家も滅亡させた。信孝はこの報を聞くとやむなく城をして尾張・内海まで逃げ延びた。
秀吉は主君の信長に対する恩義からさすがに信孝に手をかける事はせずに
自決するするように説得した。信孝は、鎧の下に
『むかしより主をうらみの野間なれば、むくいをまてやしばし筑前』と辞世の句を残し、
腹を切ると腸をつかみ出して、掛け軸に向って投げ始めた。
掛け軸は梅の花が天を望むように直立している珍しい構図の絵で、確かに掛け軸の
左上には血痕らしいシミが残っていると言う。
この掛け軸は不思議な事に季節の変わり目になると毎年、花の色がさまざまに変わり、
ほのかに血の色を帯びる事もあれば、死人のように青ざめた色になる事もあるという。
正法寺では「死んでもはらせないほど信孝の怨念が残っているに違いない」と掛け軸を
大切に保管し、何度となく丁重な供養を営んでいるという。
又この寺では信孝が自刃の際に使用した短刀には自害した5月初旬にうっすらと血の跡
がにじみ出るように浮かび上がってくるという。

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468 :好爺 :02/12/06 23:26
嘉永五年(1852)岡崎近くの村の常蔵という若者が病気で亡くなった。
それから八年経ったある夜、常蔵がいとこの夢に現われた。どうにも気になり、
常蔵の母親に話すときちんと葬式も出しているから何かの間違いだと言われた。
すると今度は、兄嫁のところに現われ、「あの時は立派に葬式をを出してもらったが
それから、さっぱり供養もしてくれない」と嘆いた。
兄嫁は単なる夢だとしか思わなかった。すると、常蔵は次の夜も現われ、
「つまらぬ夢と思われては困るから此処に証拠を置いていく」と言った。
確かに翌朝目覚めると、着物の片袖が置いてあった。それは確かに常蔵のもので
鍵のかけてあった長持の中から常蔵の着ていた着物の片袖が引きちぎられいるのが
見つかった。遺族は着物を木箱に入れて九品院に納め、供養した。
その時、常蔵の亡霊が本堂の前に現われ、「確かに供養して頂きました。
これで成仏できます」と礼を述べたと言う。
九品院には、この着物は保管されているが一般には公開してはいないとの事である。

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470 :好爺 :02/12/09 23:08
文化九年(1812)寅吉と云う少年が、江戸上野の池之端、五条天神の境内で遊んでいる
ときに奇妙な薬売りの老人を見かけた。その老人は仕事を終えたのか、道端に並べて
いた薬などを片付けるところだった。老人は全てのものを小さな壷に入れ、みずからも
壷のなかに姿を消していずこともなく飛び去っていった。
寅吉は腰を抜かさんばかりに驚いたが、好奇心が旺盛だったから、また境内にきてみると
例の老人がいた。老人は寅吉に「わしと一緒に壷に入らぬか」と誘った。寅吉は
好奇心に駆られ老人と壷に入ると常陸国の南台丈へつれていかれたのである。
こうして寅吉はたびたび老人につれられ各地へ飛行した。やがて岩間山へ飛び、
その山中で諸武術、書道、祈祷術、医薬の製法、占術などを四年間にわたって修行し、
その間、岩間山と家とを往復しながら超能力を身につけていった。
しかし、あまり何度も家を留守にするので世間では天狗にさらわれた少年ということ
になり、“天狗小僧寅吉”とか“仙童寅吉”と呼んだ。実際、失せ物を探し当てる
など、占術では異能を発揮した。

その後寅吉の超能力に興味をもった江戸下谷長者町の薬種問屋長崎屋の主人
新兵衛に気に入られ彼の家で暮らすようになった。新兵衛の屋敷ではしばしば
超能力研究会を開くようになったが、そこには幕府祐筆をつとめた国学者の
屋代弘賢、その友人の国学者平田篤胤、農政学者佐藤信淵らが顔をそろえていた。
彼等が関心を抱いたのは、超能力少年の寅吉だった。特に興味を持ったのは
篤胤で何度も話を聞き『仙界異聞-仙童寅吉物語』を発表した。
不思議な事に20代後半になると仙人からさずかった異能は消え失せ、平凡な
人物になり、晩年は風呂屋の主人になったという。

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472 :好爺 :02/12/11 00:46
天正八年(1580)豊臣秀吉は鳥取城の吉川径家を兵糧攻めにした。
兵1,800人、城に逃げ込んだ町民を合わせると4,000人あまりが城内に立ち篭って
から1ヶ月も経つともはや食べられるものはすべて食べ尽くし、木の根、草の根は
おろか死んだ馬の肉までも食べ、それでも飢えは容赦なく襲ってくる。
城主の径家さえ一日に口にするのはわずかに木の皮をひいた粉の団子と野草の水ゆで
だけであった。家臣は勇気さながらにやせこけてしまっている。
ついに戦には欠かせない馬までも殺して食べるようになった。鼠も蛙も虫も、口に
入れるものならなんでも食べた。だが、それも一時凌ぎに過ぎず、やがて子供や
老人など、弱い者から餓死者が出始めた。すると、人々はその肉まで食べ始めた。
はじめはこわごわと死人の肉を口にしていたのだが、少し慣れると、肉をあぶって
食べるようになった。あぶった肉の味は格別で、人々は争うように人肉を食べ始めた
という。いまだに死なない虫の息の者まで食べたとの記録すらある。とりわけ美味だった
のは首だったようで、奪い合って食べていた。毎日のように自室の窓から降伏勧告が
届き、径家の助命も約束するとあったが、家臣や城下の人々に此処までの苦しみを
与えた罪は城主の自分にあると秀吉の助命を断り、径家は切腹して城を明け渡した。
篭城は実に4ヶ月にも及んでいた。それから夕暮れともなると何処からか
「なにか口に入れるものを。人の肉ではない物を・・・」とかすかに聞こえると言う。

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476 :好爺 :02/12/11 22:51
元禄年間の頃、増上寺での話。あるとき檀家が「湯灌と剃髪をして頂きたい」といって
死人を連れてきた。あいにく住職が不在で、弟子の僧が行なう事になった。
僧は人々を奥へ案内すると落ち着いた様子で剃刀をとり、死人の髪を剃り始めた。
ところが、どうしたわけか手元が狂って、死人の頭の肉をわずかに削ぎとってしまった。
周囲には檀家の人々が頭をうなだれて、じっとしている。慌てた僧は、とっさに死人から
削ぎ取った肉片を自分の口に押し込み隠してしまった。誰にも気づかれなかかったが
はじめは死人の肉を気味悪く思っていたのに、ふいにたとえようのない美味に感じられ
体が震えた。僧は周りに人がいるのも忘れ、肉片を噛みしめると、喉を鳴らして飲み込んだ。
これまでに味わった事のない美味さで僧はすっかり人肉のとりこになってしまった。
その後、何とか忘れようと思った物のどうにも我慢が出来ずに、ひそかに墓地に出かけ、
埋めたばかりの土を掘り返すと、死骸の肉を切り取り貪り食った。
その欲望が満足すれば冷静さが戻ってくる。僧は己の所業が情けなくなって後悔するものの
それは、長くは続かず、また何日かすると自然に脚が墓地へ向っていく。
こうしてたびたび墓地が荒らされると住職が狐か犬の仕業ではないかと不審に思い、
墓地の隅に身をひそめて様子をうかがっていた。僧はその事に気づかずに新しい墓の
土を掘り起こすと、脇目もふらずに死骸の肉を食いはじめた。住職はその凄惨な光景に
仰天して声も出ずにどのようにして寺へ戻ったのか、わからないほどだった。
翌朝、住職は弟子の僧を呼び、昨夜見たことを率直に訪ねてみた。僧は震えるばかりで
答える事が出来ない。だが、やがて「申し訳ございませぬ」というなり平伏して詫びた。
さらに死人の肉を食ういきさつを語り、「このうえは人間としてのつきあいもできません。
何処かの山に篭って修行いたします。」といって寺をでていった。
その後、その僧の行方はまったくわからないという。

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477 :好爺 :02/12/14 00:20
19世紀最大の霊媒師と言われるダニエル・D・ヒュームは1833年にスコットランドの
エジンバラに生まれた。彼の霊能力は並外れており、トランス状態になり重い家具などを
宙にうかせて、それを又もとの位置に戻す事などをした。
交霊会では、必ず何か不思議な現象が起きた。彼が一旦トランス状態に入ると、雷鳴が
とどろくように床が振動したり、花瓶の中の水が噴水のように噴出したり、タンバリンが
空中を泳いだりした。
そして、彼が19歳の時、絹商人のチェニイの自宅で交霊会を行なった時にテーブル実験
ラップ現象、トランペットの空中浮遊などを披露している時に突然、彼自身が宙に浮いた。
この時交霊会に超常現象に懐疑的な『ハートフォード』誌の編集長が来ており、彼は
この出来事をこう書いている。「そこにいた人々は予想もしていなかったが、ヒュームが
突然、空中に舞い上がったのだ。そのとき私は彼の手を握っていたが、あまりに驚いたので
放してしまった。すると次に彼の足が私の手にふれた。彼の足はなんと床から30cmのところ
に浮いていたのだ。ヒュームといえば、喜びと恐れが入り混じった感情に身をふるわせ、
声も出ないありさまだった。一回、二回と彼の体は床からはなれ、三回目には天井まで
のぼり、手や足が天井に軽くふれた」

ヒュームは、一生の間に少なくとも1万回以上の交霊会を開いたがそれが他の霊媒師と
異なるのは、他の霊媒師が固執するような暗がりのなかではなく、明るい光の下で
行なわれた事である。彼自身が「暗がりのある所にはごまかしの可能性がある」と言っていた。
ヒュームは「私が空中に浮かぶのは、目に見えない何者かが、私を上に引張あげてくれる
からだ」と何かの霊の力であると主張していた。しばしば彼の交霊会に出席した
クルックス教授も何度か雲のようなモヤモヤしたものが何処からか現われ、しだいに
固まり手の形になるのを見たという。それは触ってみると冷やりとして、握ると向うからも
生きているかのように握りかえしてきた。けれど教授が握った手にギュッと力を入れると
スーッと消えていってしまったという。

“霊手”の出現はヒューム特異のレパートリーで、ナポレオン三世に招かれた
時には、あのナポレオン・ボナパルトの手まで現われて、自分の名前をサイン
したという。さらにヒュームが霊を呼び出すと亡霊が姿を現して、霊界からの
伝言を喋りだすのだが、この時部屋の中は真冬のように寒々としてきて、
周囲の人々はガタガタ震えあがったともいう。
しかし、1872年彼は自分の能力が限界にきた事を感じて突然引退し、
1886年53歳で、多くの謎を残したままこの世を去ってしまった。

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481 :好爺 :02/12/16 01:08
世界一の悪女と言われているのはイタリアのカトリーヌ・ド・メディチである。
何しろ彼女の一存で殺された人の数は5万人とも10万人とも言われている。
カトリーヌは、メディチ家の政略結婚の為に13歳でイタリアからフランスのアンリ二世の
元に嫁いだ。アンリ2世はもともと容姿のパッとしなかった(かなりブスだったと云う説も
あるが知性的な魅力に溢れていたとの説もある)カトリーヌを露骨に馬鹿にし、愛人で
あるディアーヌ・ド・ポワチエのもとに入り浸ってカトリーヌには見向きもしなかった。
彼女は今は、じっと耐えているしかないと思い目をつぶっていた。
しかし、思春期を過ぎて日一日と肉体が熟していく彼女にとってセックスなしの生活は
絶えがたかったのか、お小姓の美少年や腰元の美少女達を縛りつけ鞭で打って喜んでいる
との噂がたったのもこの頃である。

この間彼女はメディチ家より妖術師、毒薬使いなどを密かに呼び寄せ、自分の
腹心として脇にはべらせていた。
そうこうするうち、夫のアンリ二世が槍試合での事故で目を突き、世を去る。
この事故はノストラダムスが予言したと云う事でも有名だが、或いはカトリーヌ
が呼び寄せた妖術師の力が働いていたのかもしれない。
夫の死後よりいままでネコを被っておとなしくしていたカトリーヌは本性を表わす。
まず、ポワチエをはじめとする夫の愛人を全員追放し、15歳だった長男のフランソワ
一世を王位に就ける。だがこの長男は病弱で、しかも無能であり、カトリーヌの
道具としてはどうも役に立ちそうになかった。そのためか王位に就いて一年も
しないうちにポックリ死んでしまう。

次に王位に就いたのは次男のシャルル九世。彼は兄と異なり明晰な頭脳と経験な
信仰心をもった優秀な青年だったが、未だ幼すぎると云う理由でカトリーヌが
摂政となって、実質にフランスの国政を取り仕切るようになる。
そしてカトリーヌは此処で本性を表わす。当時新教が勢力を得て、旧来のカトリック
との間に一種の宗教戦争があちこちで勃発していた。パリ市長を呼び出した
カトリーヌは8月24日、聖バルテルミーの祭の日、新教徒達を全員虐殺するように
と軍に命令を下した。これが有名なサン・バルテルミーの虐殺である。
パリの街は新教徒達の悲鳴と絶叫、そして断末魔の呻き声で溢れかえった。
銃声がとどろき、街路には新教徒達の死骸が山と積まれた。
逃げ惑う新教徒達を屋敷のベランダから狩りの様に狙い撃ちにするカトリック教徒
もいた。セーヌ川は血で染まり、歩いている人は殺されて窓から投げ落とされる
新教徒の死体に当たらぬように用心せねばならないありさまだったという。

この大虐殺の詳報を宮殿の奥で聞きながら、カトリーヌは眉一つ動かさず、
自分で作成した虐殺予定者リストと報告を冷静に検討していたと言われる。
彼女は冷静だったが、シャルルには相当堪えたと見えてその衝撃から人格が
変わり、酒びたりの毎日を送るようになった。
それから暫く後、シャルルもまた24歳の若さで急死する。
兄と同様に王にふさわしくないという母親の判断で毒殺されたと密かに噂された。
続いて王座に就いたのは三男のアンリ三世だった。彼は生まれついてのホモで
女装趣味があり、おまけに幼児殺害に興奮する異常性格者の持ち主だった。
カトリーヌはこのアンリ三世を王位に就けてからほどなく、70歳の生涯を閉じる。
アンリがその同性愛の趣味を改めようとしなかったため、傷心のあまり死期を
早めたと言われるが、彼女の性格を考えればちょっと信じがたい。
兄達の運命を見ていたアンリが、逆に母を毒殺したとも言われている。
いずれにしても十万の新教徒を殺害した事を彼女は後悔するどころか、
一生を通じて最も誇らしい事業として自画自賛しながら死んでいった。

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486 :好爺 :02/12/17 01:46
昭和23年新橋の芸者まさ次姐さんは“猫芸者”と呼ばれるほどの猫好きだった。
上客の「囲い者にならないか?」にも猫を理由に断り、毎晩猫とひとつ布団で
寝るほどの猫好きだった。
しかし、戦前の御贔屓筋だった旦那達がみな公職を追放されたりしてまさ次姐さんは
だんだん生活が苦しくなっていった。そこで自宅で三味線教室を開いたが、その教室も
パッとせずに生活はさらに苦しくなった。その三味線教室を開く時に人の紹介で吉井と
云う金貸しから金を借りていたが、その借金をなかなか返せずにいた。
吉井と言う男はクロという犬をいつも連れて歩き、まさ次姐さんに借金が返せねば
自分の妾になれと強要していた。ある日遂にまさ次の家に上がりこみ、無理にでも
自分の女になれ、それが嫌ならこの場で貸した金を全額返せと脅迫した。

するとまさ次姐さんが飼っていた猫のみい公が吉井に飛びかかった。
怒った吉井は連れていたクロをみい公を噛み殺すようにけしかけた。
みい公はクロの攻撃をかわすとクロの目を爪で引っかき、さらに吉井の顔に
飛び掛り吉井の目に爪をつきたてた。吉井とクロは病院に担ぎ込まれたが
爪から黴菌がはいったものか高熱を出し翌々日には主従して息を引き取った。
一方まさ次もその凄まじい光景をみて気を失い、昏睡状態だったが、
吉井とクロが死んだ時にむくりと起き上がり「わしは、あのみい公の母猫じゃ。
今から一年前数寄屋橋のたもとに住んでいたわしと子供達をあの吉井の飼い犬クロ
が遊び半分に噛み殺しおった。その時一匹だけ生き残ったのがみい公じゃ。
わしは魂でこのまさ次に乗り移りクロに仕返しをするため、今まで機会を
うかがっておったのじゃ」と同じ事何度も繰り返しつぶやいた。
お払いをしても効果はなかったが、一月後まさ次はストンと正気に戻ったが
まったく猫には興味がなくなってしまっていたという。

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490 :好爺 :02/12/18 00:23
平安時代は、重病人が出ると地獄からの使者に供える為、門の左右に食べ物を置いて
おくという習慣があった。このようにすれば、疫病神をもてなした事になり、病気を
治してもらえると信じられていた。
讃岐国山田郡の女の家でも、女が重い病にかかると、さっそくさまざまな美味の料理を
つくり、門の左右に出しておいた。
やがて地獄からの使いの鬼がやってきて、重病の女を呼び出した。しかし、鬼は冥土から
急いでやってきたために疲れていたし、腹もすいていた。そこで鬼は、門の左右に
置かれた料理につい手を出し、食べてしまった。鬼は女を連れて行こうとしたが途中で
ためらった。
「先に御馳走を食べてしまったのでこのまま連れて行きくのは気がとがめる。お前と
同姓同名の女が他にいれば、御馳走の恩返しにその女を連れて行っても良いのだが」
女はどうしてそうなるのか、わからないまま「讃岐国の鵜足郡に同姓同名の女がいます」
と答えた。

鬼はそれを聞くと山田郡の女を許し、鵜足郡へ飛んでいった。そこには確かに
同姓同名の女がいる。鬼はその女を呼び出し、連れ去った。一方、許された山田郡
の女は家に帰り、すぐ行き帰った。ところが閻魔王は鬼が連れてきた鵜足郡の女を
見るなり、「お前は人違いをしたな」と鬼を叱りつけた。
「これは、わしが呼び出した女ではない。もう一度娑婆にいき、山田郡の女を
連れてくるのだ」命じられた鬼は、やむなく、また山田郡へでかけ、女を連れてきた。
「わしが呼び出したのはこの女のほうだ。間違って連れてきた鵜足郡の女は、
もとの家にかえしてくれ」閻魔王にいわれたおり、鬼は鵜足郡の家に鵜足郡の
家に帰しにいった。ところが女の亡骸はすでに火葬にされたあとである。
女は戻るべき体が無いので閻魔王に苦情を言うと閻魔王は暫く考えていたが、
山田郡の女の亡骸がまだそのままになっているのを確かめて、山田郡の女の
体を与える事にした。鵜足郡の女は正直なところ、事情が飲み込めぬまま
山田郡に連れて行かれ、女の亡骸に入って息を吹き返した。

ところが鵜足郡の女にはどうにも居心地が悪い。「ここは、私の家ではありません。
私の家は鵜足郡にあります」突如としてそう言うものだから「娘が生き返った」と
喜んでいた両親は驚き、うろたえた。それからまもなく、女は不意に家を飛び出し
鵜足郡の家へ向った。しかし、両親は見知らぬ女がやって来たので、訝しげに見ていた。
女は家に近づきながら「ここが私の家です。お父さん、お母さん…」
と言ったので両親は吃驚した。「違うよ。お前は何処の誰なんだね。うちの娘は
もう火葬にしてしまたから娘はいないんだよ」
当初、良心はなかなか信じなかったが、両親は生前の娘の事を尋ねると、女は
実際にあったとおり、間違いなく答える。赤の他人なら知るはずのない事まで
正確に話すので、両親もようやく信じるようになった。
「体は娘と違うが、心はまさに我が娘だ」両親はそう思い、それ以来、この娘を
大事にしてかわいがった。一方、山田郡の両親にしてみれば、心は鵜足郡の娘
かもしれないが、体はままぎれもなく我が娘である。かわいという思いには
変わりなかった。このため、娘は双方の両親のもとで交代に暮らしたという。


492 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/12/18 00:46
今昔物語だったか、宇治拾遺記だったかにも類似の話がありますよね。
こちらは男が主人公で場所は越前から京都にかけての場所だったと思いますが。

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あとがき
何か祝ってくれたようなので、ありがとう。
いや、本当に嬉しいんだよ
知らない人だと素直に喜べるなぁ

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  • 2008年01月08日 09:24
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読んでて懐かしの「信じようと信じまいと─」を思い出した

  • 2007年05月13日 22:08
  •   #-
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下手なオカルト話よりずっと怖くて面白かった(読むのに時間かかったけど

  • 2007年06月03日 01:28
  • 魚 #-
  • URL
  • [ 編集 ]
 

めぐりめぐってこの記事にたどり着き、前編後編含めて楽しめました。ありがとうございます。

  • 2007年06月06日 04:18
  • tokumei #-
  • URL
  • [ 編集 ]
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