週刊弐式(ry

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世界四大文明ってなんで急に発祥したの??

世界四大文明ってなんで急に発祥したの??

1 :出土地不明 :2006/06/09(金) 04:01:36 ID:xfb68pu/
主観や解釈の相違で二転三転するようなチマチマしたエビデンスを出すな!
理性と客観性を軸にした大局を読んだ議論を展開してほしい

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15 :出土地不明 :2006/06/10(土) 19:15:23 ID:ffAfgmGc
今の段階ではまだ答えが出せない、というのが真実。
というのも最近の研究で四大文明の地や他地域でも『文明発祥』の時期がどんどん更新されている(遡っている)から。


16 :出土地不明 :2006/06/11(日) 21:48:44 ID:ZTqXpRSh
何万年前から小文明はあっただろうしな。
四大文明は大きな文明というだけで始めての文明じゃない。


21 :出土地不明 :2006/06/14(水) 23:59:27 ID:XhqeoYXc
>>16
農耕以前を文明とすることがどれくらい可能か、ってことだ。
定住がないと、文明的なものは難しい。
もっとも、スンギール遺跡(南ロシア)の埋葬人骨など(28000年前)
は、たしかに高度な文化があったことは示唆される。

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18 :出土地不明 :2006/06/14(水) 14:34:25 ID:gKc6pJPk
自然に使える淡水と平地の絶対量の差じゃない?
灌漑技術が発展するまでは農業も自然任せだったんだし。
それによって養える総人口に差が出るだけかと。

たまたま人口多いところが目立つだけ。
文明なんてどこにでもあった。

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19 :道灌 :2006/06/14(水) 17:30:56 ID:hVeRwEPE
四大文明といわれている時代、全世界で二十前後の文明があった。
他の所は、四大文明より研究が遅れているんだよ。

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23 :出土地不明 :2006/06/17(土) 05:43:00 ID:MJvESEsr
およそ1万1千年前に発生した「ヤンガードリアス(ドライアス)」期
と呼ばれる寒冷化の時代に関係があるのではないか?
1万1400年前の遺跡から栽培種のイチジクが見つかったというスレが
科学板にあるが、この時点で栽培作物(果物だけど)があったと言う事は
栽培文化そのものの歴史はさらに前まで遡るという事で、旧石器時代末には
農業?らしきものが存在していた可能性がある。
その400年後に寒冷期が襲ってきて(氷河期のピークの気温まで戻ったと
聞いた事がある。)、食料が減少し、寒さに強い麦やヒエなどの作物栽培への
切り替えが進んだとしたらどうだろう?
当然内陸よりは水利に恵まれた河の近くに耕作地を持ちたがるのが合理的
だろうし、同種の栽培文化を持った人たちが集まってくるだろう。
すると土地と水利権を巡って争いごとが起こり、決まりごとが作られ、
権力者が発生し、生活する場所として都市が作られ始める。
メソポタミアでもエジプトでも概ねこんな具合に文明が出来上がったのだろう。
モホスでも同じ現象が起きたのではないか?(特に南米はヤンガードリアス期の
発生原因となった北米大陸の氷河と距離が近いから、より深刻な被害が
発生しただろう。)


28 :出土地不明 :2006/06/17(土) 12:52:51 ID:aN/z8ri+
>>23
まず、氷河時代については、部分的な牧畜をはじめていた可能性はあるもの
の、農耕は難しかっただろうな。だから、基本的には氷河時代の終わったこ
ろ、つまり、1万5千年から1万3千年前ごろに、なんらかの農耕が始まった
可能性はある。ただし、それはヤンガードリアス(1万3千年前から1万1千
年前かな)で、かなり大変なことになっただろう。
中近東の初期農耕文化は、ナトゥーフィアンであるけれども、彼らは、
半猟半農だったという。
農耕の本格化以前に定住が始まっていたこともわかっている。
世界的に農耕の始まりの時期、あるいは本格的な農耕は1万年前ごろに
なる。ヤンガードリアスの後だな。
中近東の麦作などや、中国南部の稲作、そしてパプア・ニューギニアの
タロ芋とかそういうのが世界的にみても初期の農業になる。
かなりいっせいに始まったという印象があるな。

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35 :出土地不明 :2006/06/19(月) 19:25:14 ID:QG7/fwGb
日光猿軍団とか、チンパンジーのアイちゃんとか見てると時々思うんだが、
類人猿のちょっと賢そうなのに、農業を教えることってできないのかな?
収穫の一部を次回の種として分離して貯蔵するとか、できないか。


36 :出土地不明 :2006/06/19(月) 20:10:24 ID:52V3Sx9I
>>35
手話を教えたら覚えるチンパンジーもいるけど
穀物や作物を貯蔵したり栽培するのは
単なる作業ではなく「労働」だから農業は無理じゃまいか?

目の前にイモとか置かれたら、とりあえず「いただきまーす」で終了。
動物が明日の飯のこと気にして働いてたら、もはや動物ではなく人間だ。


39 :出土地不明 :2006/06/20(火) 07:16:03 ID:H/G+Sc/c
動物だってしょくりょうを備蓄したりするし関係ない。
文字による文化の蓄積が重要だとおもうんだが
タクラマカンのロプノールなんかは小麦の灌漑農業をやっていたけど文字はなかった。


45 :出土地不明 :2006/06/24(土) 14:39:45 ID:6GvzcK6l
>>39
文字の発達は、文明とはあんまり関係ないだろ。
インカ帝国はすくなくとも普通にいわれている文字文化はなかった。
文字が発達したのは、系統として、二系統か三系統だ。
中近東の文字。シュメールのくさび形文字だな。これはたぶん、エジプト
にも伝搬して、エジプトはそれをヒントに別の文字をつくった。
あと、マヤなど中米の文字。マヤ文明以前に文字はあったらしい。
中国の漢字が独自なのか、中近東系からの刺激によるものかはなんとも
いえないが、時期が、中近東よりも数千年遅れることからして独自で
あるか疑わしい。世界の文字は、現在、中国の漢字と日本語のカナを
のぞくと、一般的に使われているものは、すべて、中近東の文字から
発達している。ベースは、メソポタミアの文字とエジプトの文字から
発達したセム文字だ。
農業の始まりは、文字の始まりよりは、いまんところ数千年は先行して
いる。都市国家もそうだ。


40 :出土地不明 :2006/06/20(火) 16:51:58 ID:OUin6bjV
おいおい、リスがドングリ貯め込むのと
植物の生育をコントロールしてる農業とじゃ全然レベルが違うだろ。


41 :出土地不明 :2006/06/20(火) 21:57:53 ID:5M7Z3OT3
リスさんはドングリ埋めても場所わすれちゃったりするんだよね。
やがて、埋められたドングリは芽を出して・・・

・・・もしかして、リスさんは植林してるんじゃまいか?


44 :出土地不明 :2006/06/24(土) 14:33:56 ID:6GvzcK6l
>>40
たしか、アリの一種が農業をすることになっているよな。
たしか、動物の死骸とかそういうのを巣の中にひっぱりこんで、そこに
菌類(キノコだよな)の胞子をくっつけて、そのキノコを育てて、
そしえt、そのキノコを食べるというやつだ。その菌類自信もそのアリ
が先祖代々維持している特定のものをつかっているんじゃなかったかな。
これは本格的な農業だぞ。人間の農業の基本とかわらん。むしろ、粗放
な農業よりもずっと高度な農業だ。
リスのドングリあつめで、それが発酵して、とかいうなら、発酵食品を
食べることになるな。そこまでやっているのか?

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46 :出土地不明 :2006/06/24(土) 18:31:18 ID:uj75x8qH
アフリカやインド、中国、南米はまず研究者が少ない。未だに未発掘の先史文明遺跡の可能性は否定できない。
またユカタン半島沖やカナリア諸島近海、インド沖、東シナ海の海底にこそ、真のオリジン文明があった可能性が高い。


47 :出土地不明 :2006/06/24(土) 21:36:44 ID:6ZGJOkJ9
>>46
氷河時代ってのは寒いだろ。すごく寒い。だから、海沿いの地域くらいしか
住めなかった可能性がある。その海沿いの地はすべて海面下になっている
わけだ。だから、今後、海底考古学が発達すると、案外、大陸棚のあたり
から、とてつもない文明が発見されるかもしれないわけだ。
日本の場合も、土器の起源が氷河時代までさかのぼるわけだから、案外
海面下の海底遺跡の中に、初期縄文土器がどひゃーっと発見されるような
可能性が残っているわけだが。

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62 :出土地不明 :2006/09/01(金) 20:39:24 ID:7h90tAQE
4大文明、1000年単位の精度で見るなら、大体、世界共通の同時期に発祥したといえるの?無学なので質問。

基軸時代と同類の現象??


63 :出土地不明 :2006/09/01(金) 22:33:55 ID:6JQXrFDN
>>62
いまんところだけど、全ての文明は最終氷河期が終わった段階を起点として
始まっているんだよね。それは1万1千年前ごろになる(ヤンガードリアス
の終わったころだよ)。そこから、数千年かけて、農業や定住が始まる。
そして、中近東がもっとも早い段階で、文明化する。
四大文明というと、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河とされる
けれど、このうち、メソポタミアについては、根っから独自の形で文明
が形成される過程が考古学的に判明している。エジプトについては、どう
やら、メソポタミアからの影響による要素が大きい。インダスもこれ
またメソポタミアとの関係が示唆される。で、黄河文明はこれら三つより
2千年以上遅い。文字をきちんと持っている遺跡の存在では、黄河文明は、
前15世紀よりはさかのぼらない。よって、時代としては、ギリシア文明
とだいたい同時期とみることができる。ギリシア文明は場所的にも、
オリエント(エジプト、メソポタミア)からは離れているが、なぜか、
四大文明の中には入らない。ただ、黄河文明は他の文明との接点が不明確
であるので、独自のものとされるわけだ。ただ、中国全土を考慮すると、
農耕の開始時期も、メソポタミアを始めとした中近東からそれほど遅れて
いるわけではないので、逆に、なぜ、メソポタミアなど中近東よりも、
二千年近く遅れたのか、というのが問題だな。

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65 :出土地不明 :2006/09/02(土) 08:34:08 ID:jtN73IVz
世界最古の土器を持っていた縄文人が文明を発展させなかったのはなぜ?
縄文人は土器はあるけど文字はないって生活を1万年以上も続けたことになる。


67 :出土地不明 :2006/09/02(土) 15:51:28 ID:Koncmp7T
記録上、日本列島の"文字"が登場するのは、中国の歴史書「随書倭国伝」
の中の倭人の風俗に、「文字は無く、ただ木を刻み縄を結ぶだけ」と記録
されている点だ。「文字は無く、木を刻み縄を結ぶ」つまり中国人が考え
る、言葉を完全に表記できる真の意味での文字は無いが、木を刻んだり、
縄を結んだりする事によりコミュニケーションをとっていた事を意味して
いる。
皆さんは、縄文字と言うものを御存知だろうか。 一般的に縄文字(結縄
文字)と言うと南米インカ帝国のキープと呼ばれる紐に結び目を付けて情
報を伝達する手段だ。インカ帝国には、このキープが文字代わりに使用さ
れてきた。キープは、主に物品の種類やその数を記録するのに用いられ、
納税などの際には必要不可欠のものであった。
物品記録以外にも簡単な文章も表現していたが、今だ完全な解読はされて
いない。キープは単なる記号以上の複雑な体系を持つ文字の一種で、イン
カ帝国にはキープを教える専門の学校も存在した。
ところが、このキープとまったく同じ物が日本の沖縄でも使用されていた。
しかもなんと戦前まで実際に使用されていた。沖縄の縄文字は、藁算と呼
ばれワラザン、バラサン、ワラザイなど多くの読み方がある。
読んで字の如く、藁算は、ワラで編んだ縄、又はワラその物に結び目を付け
て情報を記録した物である。藁算は、古墳時代以前より日本本土でも使用さ
れていた。沖縄地方では、高価な紙の替わりに藁算が情報伝達手段として最
近まで広く民衆の間で使用されてきたのだ。

さて、「縄文」式土器だが・・・なぜわざわざ縄目を入れる必要があったの
だろうね?


69 :出土地不明 :2006/09/03(日) 01:11:14 ID:SYtSMvyh
>>65
農耕の開始時期は、どこの地域でも比較的共通性が高い。
最近では、世界最古の農業は、中東でもなければ中国でもなく、もしかし
たら、パプアニューギニアの高地民族かもしれないという。もっとも彼ら
は農耕は非常に早い時期に始めたものの、その後の展開は非常に遅かった。
中国でも、農耕は中東と同じような時期に始まっているが、文字をもつ
文明になったのは遅い。

土器については、たしかに中国南部と日本が非常に古い段階で土器をもつ
わけで、その時期は氷河時代の終わる前だ(1万6千年前以前)。で、
この時代は、まだ、ヨーロッパではクロマニョン人が壁画を描いていた
時代でもあったりする。一方で、中東における後期旧石器時代の文化
でも(つまり氷河時代の間)、粘土を焼いて人形(フィギュリン)を作った
りするのは、ある程度行われている。土器は、逆に中国や日本よりは
かなり遅れる。
結局は、どれもかなり偶発的なものではないか。日本や中国で土器が必要
だったのは、ドングリなどを煮て灰汁抜きするためで、単に短時間の煮炊き
をするためなら、水が漏れないような皮の袋や動物の膀胱の容器に、焼けた
石を放り込むだけでよい。だから土器の必要性はほとんどないわけだ。
ドングリの灰汁抜きなどには、長時間の煮沸が必要だから、土器が必要
だったということだろう。
また、文字についても、インカ帝国は文字はなかったが十分に発達した
文化をもっていたわけだ。
農耕、土器、文字などなど文明化の指標とされるものは、どれもそれぞれ
の地域でのニーズに合わせてできたものであって、それらがなければ、文明
が成り立たないものでもないようだ。
メソポタミアの文字は、それに先行する粘土のトークンによる商業取引の
記録がベースにあるから、ようは経理処理のために発達したものだった。
中国の場合は、殷の甲骨文字の使用や漢字の成り立ちの研究からわかる
ように、より占いの要素が強く、しかも、殷の時代は文字の使用はごく
一部の人々に限られていたようだ。ようは、文字の成り立ちも独立して
文字が発達したと考えられる地域では、別の事情で発達している。
ようは、文明はそれぞれがユニークであるということだ。ただ、エジプト
の例をみればわかるように、近くに、発達した文明(メソポタミア)が
あったときには、そこからの文化の吸収により、非常に早い段階で独自
の文化を発展させることもある。ユーラシアは農業に適した温帯が連続
していて、異なる地域が、互いに交流する可能性が高かった。だから、
一つの地域での発明は他の地域に伝搬し、それらの互いの影響の中で、
比較的早い段階での文明化が行われたのではないかと思う。


193 :出土地不明 :2006/11/11(土) 15:27:40 ID:h78kDBnW
>>67に俺のシナプスがビンビン反応してるぜ


194 :67 :2006/11/11(土) 19:15:01 ID:BtvitAF7
ヒント:
日本の古文書には時々、イースター島のロンゴロンゴ文字のように渦巻き状に回転させて読まないといけない場合がある。

火焔式土器等はそもそも毎日の日常生活で使われていたかは専門家でも疑問視する向きがある。形状が複雑でかつ厚手で
装飾性・信仰性がより重視されたのではないか?という事。しかも縄文時代にしては結構広範囲に"流通"していた事がパ
ターンの種類により判別できる。製作地と出土地は異なる訳だ。

土器はそもそも「容器」なのだから何かを中に入れて流通したのかもしれない。
その表面にびっしりと「無造作」につけられた縄目は1本の列を成すのだが・・・それはただの滑り止めに無造作につけ
る必要があったのだろうか? 
その他の「用途」「目的」がなかったのだろうか?

藁算と似たものにポリネシア原住民の航海術の縄張り枠もある。これはある島を基点として、方位(山・島・星等)を目印
にその長さ・結び目で目的地までの距離・中継地・産物等の記号が記されたれっきとした「海図」で、キャプテンクック
の時代まで実際に使われていた。
その利用法や記号は代々部族の船頭に口伝され、他部族に教えてはいけないものとされていた。


195 :出土地不明 :2006/11/11(土) 22:50:28 ID:hGWf0OrC
>>194
面白い話だが、いちおう、定説を述べておこう。
ロンゴロンゴは、たしかにイースター島に伝わる文字だという話であったが、
イースター島で、白人がやってくるまで文字が使われていた痕跡は一切無い。
ロンゴロンゴは、普通、白人が文字を書いているのを見て、自分達の文字を
を作ろうとした結果のものであろうとされている。イースター島の人々が、
その後、奴隷に売られたりいろいろしたので、たしかに数がへってしまった
というのはあるが、ロンゴロンゴを読めると主張した人が複数いたが、かれ
らのだれもが、同じ読み方をしなかった。書かれているのはイースター島の
ポリネシア語であることは間違いないのだが、読めない。つまり、文字のよう
な模様だった、あるいは、たかだか数人の人達の間だけで通用していた、記号
セットと考えるべきだろう。

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74 :出土地不明 :2006/09/03(日) 14:03:45 ID:V6WliLUd
言語の音声系になにか文字化を阻む一因ありや


76 :出土地不明 :2006/09/03(日) 14:27:55 ID:O7RVPFYz
>>74
言語のタイプによって、文字化ができたりできなかったりするだろうとは
思うんだよな。
孤立語的で、音素が少なく、同音異義語が大量にあるような言語の場合は、
具体的な形状をもつ絵になりやすいものを記号として、さらにその記号が
同音異義語をも表すことができるとすると、そこですぐに象形文字はスタ
ートするだろう。でも、たとえばギリシア語などはこの方法では表現でき
ず、結局、音素文字が発明されてはじめて表記が可能になったということで
象形文字の誕生(前3500年)から3000年近くかかっているわけだろ。

まず大事なのは、音声言語がそのままの形で記号配列に置き換えられると
いう発想をもつことがあって、これは大変なことだと思う。
ついで、それが可能であっても、どうやってそれをなしとげるか、という
ことだろうな。
中近東における文字の発達は、粘土のトークンから粘土板経理文書になり、
そこから、文章がつづれるようになるという発達過程が分かっているが、
これも数千年かかってようやく文字とよべるものにたどり着いている感じ
がする。そこいくと、マヤなどの文字がどういう形で形成されたのか、と
いうのが面白いな。まだ、よくわからないけれど。
中国の文字の発達にはたして、中近東のアイデアが伝わっていなかった
のかどうかも気になるところだ。エジプトは、そのまま、中近東のやり方
を使っているから、たぶん、アイデア拝借型だろう。

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91 :出土地不明 :2006/09/05(火) 21:36:26 ID:3WF4Lmby
氷河時代は、低緯度地方では1万5千年前ごろに終わりになる。
で、だいたい1万4千年前ごろにはほとんどの地域で終わる。
そのあと、中近東では、定住集落が登場するわけだ。農耕をしていたとは
思えないのだが、まずは定住なんだよな。で、そのあとヤンガードリアス
の寒冷期が来て、これが終わるのが1万1千年前ということになる。
そこから、ほどなく農耕が始まる。だいたい、農耕はどこでも、紀元前
8000年ごろとかになる。つまり1万年前だ。

で、まあ、自分としては、もっと氷河時代について考えてみる必要がある
かと思う。氷河時代の人々は狩猟採集民で移動しながらの生活であったと
いうけれど、シベリアあたりのマンモスの骨で組み立てた半地下住居など
は、かなりの耐用年数がありそうで、季節ごとの移動はあったとしても、
基本的には半定住が始まっていたのだろうと思う。
この段階で、案外、まだ知られていない文明があるのかも、と思ってみた
りもするわけだが。

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92 :出土地不明 :2006/09/05(火) 23:42:32 ID:uFBctQ+v
狩猟採集型でも、その活動にしかるべき、時間的な共通の複雑化・高度化があるのかな。


94 :出土地不明 :2006/09/05(火) 23:54:39 ID:anDbaXr/
>>92
氷河時代に着目したい理由の一つは、なんといっても、シベリアやら、
ロシアやらの当時のむちゃくちゃ寒い地域に、かなり高度な文化がある
ってことだ。で、以前のこの板のどっかのスレでだれかがいってたけど、
「氷河時代は冬は暇だった」というつぶやき。これあんがい当たっている
かもしれないと思って、がぜん興味が湧いてきた。
芸術文化の意味では、氷河時代は北のほうほど文化水準が高い。
とくに彫刻とかビーズ細工とか、スンギール遺跡とかのもふくめて、
すごい手の込んだ作業が為されているわけ。これって、冬が暇だったから
かもしれないと多うわけ。夏から秋の狩りで、蓄えて、干し肉とかの
形で蓄積する。野菜などの食べ物も、漬け物にするとか蓄える方法が
ある。なんせ、冬は寒いから、冷凍保存という方法もある。どうせ、外
で狩りはできない。そうすると、時間がたっぷりあるし、文明発生の一
つの要素であるところの富の蓄積みたいなことが、短期的だけど行われ
るわけだろ。当然、彼らの冬の住まいは、蓄積に適した倉庫やらも必要
で(たぶん、ピットなんだろうけれど)、かなり広く、頑丈な建物も
作られる。共同作業が必要で、リーダーも出てくる。ある意味で、貴族
階級のようなものも多少生まれてくる。
氷河時代の人々は移動する狩猟採集民だと思って、現代の狩猟採集民の
あり方からその生活を類推するのは間違いだと思うわけだ。現代の狩猟
採集民は、工業や農業などの近代文明の手が入らないような荒れ地で
生活しているわけだし。つまり、現代社会の主流ではないわけだ。
でも、氷河時代の狩猟採集民は、とくに条件のよいところで暮らしていた
ら、それは、「当時の最先端の主流」だったわけだ。かなり豪華な暮らし
ってのがあったのかもしれない。

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100 :出土地不明 :2006/09/09(土) 13:08:43 ID:fZnf0vlC
南アフリカのケープタウンから約240kmのところにあるブロンボス洞窟で
発見された77000年前の道具を見てみると、初期現生人類の集団は、革製
品用の骨器、身体の装飾に用いるための赤いオーカー(鉄分を多く含んだ粘土
で、顔料に用いる)を破砕したり、幾何学的な模様を彫ることさえしていた。
また彼らは、小さな炉床で火を使ったり、様々な動物や魚を獲ったりしていた。

洗練された道具と協力関係の必要な漁労文化の証拠とを示唆する印がある。オ
ーカー粉は、身体装飾や宗教儀式信仰の記号として使用されたと考古学者は確
信している。
もっとも注目されるのは、赤いオーカーの二つの破片である。それらには滑ら
かな平面と網目模様が認められ、人類の最古の芸術の痕跡かもしれない。


102 :出土地不明 :2006/09/09(土) 13:13:15 ID:fZnf0vlC
現生人類の芸術に代表される象徴的思考の能力や洗練された言語など芸術行為の起源
については、5~4万年前の「創造の爆発」といわれる時期に欧州と西アジアで突如
として花開いたとの見解が有力であるが、それらはアフリカで徐々に育まれていたの
ではないかとの見解も有力になりつつある。
最近の相次ぐ発見で多少苦しくなったとはいえ、現生人類のアフリカ単一起源説でい
われているように、解剖学的現代人が最初に登場したのがアフリカであることは、現
在のところ否定しがたいだろうから、現生人類の行動様式も、まず最初にアフリカで
認められるというのは、まったく無理のない解釈である。

しかしながら、依然として従来の「創造の爆発」論にも根強いものがあり、現生人類
の行動様式アフリカ起源説もとうてい通説とまではいえない。しかし、今後発掘が進
めばアフリカ起源説がますます有力になっていくであろう、と私は考えている。
従来の「創造の爆発」論は、考古学界の欧州・西アジア中心主義の影響が大きかった
事と、アフリカでの発掘があまり進んでおらず、その数少ない発掘成果も軽視されて
いた結果、学界やマスコミにも浸透していたにすぎないと思うからだ。


103 :出土地不明 :2006/09/09(土) 13:35:44 ID:U2H6WiXg
>>102
この問題は最近とくに顕著になってきたようだな。
アフリカで、あきらかに5万年前よりも以前の象徴行動の例が発見されている
わけだ。10万年前、さらには、たぶん、20万年前近くまでいくんじゃない
のかと思う。

一ついえることは、アフリカにおけるこういう象徴行動やら革新性、創造性と
いうものが、ほとんど単発的である点だ。ある遺跡はそういうものがある。
ところが、その近辺のちょっと違う時代の遺跡にはそういう痕跡がない、という
ことを繰り返す。そして、アフリカにおいて本格的な後期旧石器文化(LSA)が
はじまるのは、2万年前以降だろ。
それから、8万年前以前にアフリカを出た人々、たとえば、中近東に進出の、
AMHも、中期旧石器文化段階(MSA)だった。インドに7万年前ごろまでに進出
していた人々もMSA段階だった。さらに、オーストラリアに到達する直前の
東南アジアの人々も、MSA段階だった。
ところが、アフリカの外では、MSAから、後期旧石器段階に移行すると、その
あとの揺り戻しで、MSAに戻る例がほとんどない。オーストラリアは、最初
から後期旧石器段階に移行している。ヨーロッパもオーリナシアンが入ると
それから後は、ネアンデルタール人のものをのぞくと、中期旧石器段階の
遺跡は消える。ほかもほとんどそうだ。ところが、アフリカだけは、その
段階に至るのも、非常に遅く、2万年前で、さらに普及するのは、1万5千
年の氷河時代が終わるころだ。

今後の発掘によって、アフリカでさらに古い象徴行動の例はあるかもしれ
ないし、アフリカ外で、中期旧石器的なものが出てくるかもしれないが、
しかし、アフリカにおいて、5万年前以降でも、中期旧石器文化がみゃく
みゃくと存在することは否定されないだろう。

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114 :出土地不明 :2006/09/20(水) 16:55:34 ID:t1L1rD44
「創造の爆発」と「定住による意識変化」とは関係しているのでしょうか?地域的、時間関係など含めて。


116 :出土地不明 :2006/09/20(水) 23:50:03 ID:e9kqEaVg
>>114
よく言われているのは、後期旧石器時代への突入の段階で言語が発達し、
そこから、文化が起こり、という説明だね。
で、これは私は懐疑的で、言語はもっと昔からあったと思うのだが、今回
のAFTER THE ICEを読んでいて、一番印象が深かったのは、ナトゥーフィアン
とヤンガードリアスのさなかの後期ナトゥーフィアンとの関係だな。
ナトゥーフィアンでいったん狩猟採集生活のまま、豊富な自然資源のもと
で定住生活を始めた人々は、気候が悪化し、定住生活をあきらめたあとも、
ナトゥーフィアン時代の先祖の地にその後数百年、あるいはヤンガードリアス
が終わる千年後くらいまでずっと訪れ、そして、放浪生活の中で死んだ
ものたちの遺骨を、祖先のナトゥーフィアンの遺跡の近くに葬り、そして
一時的に滞在して、祭りをし、そして去っていく、というあたりがなかなか
人間的だなと思った。確実に言語により伝説、伝承が伝わり、過去において
自分たちがどこに定住していたかを知り、そして、過去同じ町に住んでいた
人々がわかれわかれになっても、年に一度、いや数年に一度は集まり、
そこで祭りをし、先祖への思いをつのらせ、というあたりだ。
彼らが言語を話していたことはもちろん間違いないことだが、ただ、この
ような行動は、本当に言語と文化と、そして宗教的なものがないとおこらない
ことなんだろうと思う。


117 :出土地不明 :2006/09/22(金) 21:20:25 ID:LJV4Kd8K
>>116
なんか、涙が出てきますね。  
定住、言語、農耕、記憶、文字、「創造の爆発(これは?)」など、なにか仮説がありそうに思ってしまう。


118 :出土地不明 :2006/09/23(土) 23:42:42 ID:nDAnTtyN
>>117
たぶん、後期旧石器時代が定着して以降、人類はもとに戻れない状態に
なったんだろうな、と思う。たしかに、気候の変化や、未知の土地にいって
農耕民だった人々が狩猟採集民になった例もある。ニュージーランドのマオリ
も、ポリネシア人全体がそうであるように、もともと農耕民であり、さらに、
家禽と豚と犬を家畜としてもっていたわけだが、南島に移住した人たちは、
過酷な環境で農業を放棄して、狩猟採集民になってしまった。
ただ、ヤンガードリアス前のナトゥーフィアンとヤンガードリアスの気候悪化
の中での後期ナトゥーフィアンについて書いたように、後期ナトゥーフィアン
は明らかに、ナトゥーフィアン以前のケバランなどの文化とは違う。
たぶん、詳しくわからないけれど、南島のマオリも、本来の狩猟採集民とは
違うような過去農耕民であったことの遺産をもっていたんじゃないかな、
と思う。
ようするに、後期旧石器時代以降、確実に近代化に向けてのステップが
あって、地域環境気候により、その歩みの遅い地域集団もいれば、速い
集団もいる。また、気候の悪化で見かけ上は、より古い時代の段階に
一歩さがってしまうように見えることもあるけれど、でも、本当に古い
時代の段階とは違うものを引き継いでいるんだということじゃないか
と思う。この、確実にステップアップしていくもの、というのが文化の
流れのようなもので、やっぱり、後期旧石器時代の始まりというのは、
そのステップアップを確実にする、なんか大きな変化があったんだと
いうことになるだろうね。

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141 :出土地不明 :2006/09/27(水) 11:42:02 ID:lA+lfsEF
河口に何故文明というのは、
狩猟採集を漁業に依存すれば、定住が可能ということに関係してそう。
また、氷河期の終了により海抜が上昇したことにより、
河川および周辺環境が激変し、
漁業の有効性と農業の可能性が上昇したのだと思うぞ。


142 :月光仮面 :2006/09/27(水) 12:27:19 ID:x900YqC9
>>141
海進、海退の繰り返しにより、貝塚文化の応用として農業が出現ってことか。
レバントは単に小麦だが、メソポタミア、ナイルにおいてはその他穀物の可能性
もあるね。


145 :月光仮面 :2006/09/27(水) 19:07:26 ID:H0ws1bIf
>>142
漏れはモンゴロイドがなぜヒマラヤチベットに登ったのが大きな謎であったが
ヤンガー・ドリアスのような気象激変の結果、動物相、植物相の高地-低地変動が
起こり、これに対応した人間の動きが遺伝子の突然変異と言う結果を招いたという
事もありえるんじゃないか。また、米の起源もガンジス流域-長江流域の共通山間部
で、こうした時代に生まれたのだろう。


151 :出土地不明 :2006/09/28(木) 23:22:32 ID:HftZN6th
>>141
農業の始まりにおいて、栽培品種ってのは、種がばらばら落ちないタイプ
なんだよね。野生種は、一般に種がはじけて飛び散るわけね。
そこで、AFTER THE ICEに書かれている話を簡単にいうなら、当初狩猟採集
民ってのは、そこらの原っぱに生えている稲科とかのでっかい栄養分のある
種(っていうか実っていうか)をつける植物を、目の細かいザルとかを
受け皿にして、そんで、穂の部分を叩いて、種をぱらぱらとザルの上に
落とすような形で採集していたらしい。で、その種(っていうか実)を
持ち帰って食べるわけだ。当然、原っぱから比較的定住性の高い(季節
移動はあったかもしれないが)住居に持ち帰る途中で種が落ちる。その
落ちる頻度は、当然、住居の近辺が一番多い。そこで、住居群の近傍に
比較的採集しやすい稲科などの植物が茂るようになるってことだね。
ところが、これを、穂狩りするようになると話が違うっていうわけ。
穂のあたり全体を鎌で刈り取るとかする。で、そのまま持ち帰る。そう
すると、もとの原っぱに生き残るのは、その穂狩りの前に種をとばした
のだけ生き残る。だから原っぱのはそのまま野生的なものばかりになる。
一方持ち帰ったものは、そのまま全部食べてしまう。
で、重要なのは、持ち帰ったものを種籾にして後でばらまくということが
起こらないといけない。そうすると、種を飛び散らかす野生のものではなく
種をとばさないタイプの栽培に適したものが選択されるというわけだ。
どうやら、氷河時代の間も、それからヤンガードリアス以前の温暖な時代
においても、栽培種が選択されるような仕組みはなかったようだという。
ヤンガードリアスが終わったあとから、栽培種が登場するので、そのあたり
で、農業が本格的になって、栽培種というものが固定的になったというわけ
だな。

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157 :出土地不明 :2006/10/07(土) 21:25:51 ID:a/Sefd60
ある意味、寒冷化の終焉が巨大哺乳類の絶滅を加速させた。寒冷化適応
が必要なくなったのが大きい。


158 :出土地不明 :2006/10/07(土) 21:58:04 ID:YmfT7X+y
>>157
クロービス石器ってのは、っとても大きいのだが、なんでも、これ、宗教的
な行事のための特別な石器で、あまり狩猟用ってことじゃないらしい。
クロービス以前の石器がないから、クロービス石器の人々が最初にアメリカ
にやってきたというのが、「クロービスが最初」仮説なんだけれど、実際の
ところ、モンテヴェルデ(チリ)の遺跡でそれより以前のものがみつかって、
クロービス以前にも北アメリカに遺跡は残していないが人々が住んでいたこと
が明らかになったわけで、そうすると、クロービス石器以前の人々がいて、
むしろ、クロービス石器がある時点で突然現れるのは、北アメリカの中に
おける文化運動の結果だったということになるようだ。
で、その時代のクロービス石器を使っていた人々が食べていたりしたのは、
マンモスや、巨大ナマケモノや、巨大アルマジロやスミロドンとかそういう
大型動物ではなくて、案外ちっちゃいものだったらしい。
マンモスを食べたあともないことはないが、そこらで死んだやつを適当に
料理しただけじゃないかって。カリブーとかかバイソンとか絶滅してない
ものを狩猟していた痕跡のほうが多いらしい。ってことで、大型哺乳類の
絶滅は、気候変化で、とくに、氷河時代の間は季節による寒暖の差が小さい
のが、季節が顕著になったことで、寒いところに適応した動物は夏が苦しく、
逆に温かいところに適応した動物は冬が厳しいという状況で、がたいの
大きい大型哺乳類がもっとも影響を受けた、というのが答えだったようだ。


159 :出土地不明 :2006/10/08(日) 22:31:06 ID:OgN70g88
>>158
ちょっと話が違っていたので、追加です。
たんに、氷河時代の終わりとともに、気候が変わり、それで絶滅したと
いうのなら、過去何度もあったそういう気候の変化に対して十分に生き
延びてきた動物が、どうして、最終氷期の終わりで絶滅したかの説明が
つかないというわけです。
そこで、過去の気候変動のときにそういう動物がどうやって生き残って
きたかを見ると、大量絶滅があっても、その中で一部は気候変動の後も
あまり大きく気候が変動しないところや、うまく適応可能な逃げ場所を
選んで、そこで群れを小さくし、かつ体も小さくなるなどして適応して
きたということがわかるわけです。
ところが、最終氷期の後、その個体数が小さくなり、さらに体もだんだん
と小さくなる、というかたちでの生き延び戦略の中で、人間の、クロービス
石器をもつ人々の比較的散発的な狩猟があり、それがとどめを刺したらしい
というのが、最終的な結論のようです。で、これを説明するのに十分な、
考古学的な証拠もあるようです。つまり、クロービス人が、弱ったマンモス
を狩猟していたとかいうような形跡があったわけです。

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あとがき
長くなったなぁ
自分で思うけど、うちのサイトって背景の割りに暗い話は多くは無いよねw
グロイのも平気で貼るけどさ。割合はそんなに多くないような気がする。
今後もこんなにテーマが良く分らない感じでw
ゆっくりペースに変更してから幾分気が楽になったので
止めるのは保留しました。
ただなぁ、将来への不安は募る一方なんだよな。
マジでどうしましょうかね・・・

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ものすごい面白かった。
こ…これだから2ちゃんねるはー!!

  • 2006年11月23日 18:05
  • #-
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  • [ 編集 ]
 

赤毛いいよ赤毛。
ナイスセレクトですよ。
私生活がんばれよ。
更新は暇な時でいいからさ!

  • 2006年11月23日 21:14
  • #-
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  • [ 編集 ]
 

グッドチョイス!!
マイペースでゆっくりとやってくだされ

  • 2006年11月24日 12:21
  •   #-
  • URL
  • [ 編集 ]
 

リスやアリが農耕するったって、ハード依存のシステムとコミニュケーションで自己学習してエミュレートするんではだいぶ違うことないか?

  • 2006年11月26日 16:10
  • #-
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